Pay money To my Painは生き続ける――バンドヒストリーと愛ある証言、貴重なライブ映像で紡がれた映画『SUNRISE TO SUNSET』に寄せて

Pay money To my Painは生き続ける――バンドヒストリーと愛ある証言、貴重なライブ映像で紡がれた映画『SUNRISE TO SUNSET』に寄せて
Pay money To my Pain(以下PTP)が「映画」になった。公式サイトには「彼らの歩みと時代、その影響力を未発表の映像、メンバーと関係者の証言で世に問うロックバンドとしての人生を詰め込んだ145分の作品」と紹介されている『SUNRISE TO SUNSET』。11月17日から全国の映画館で公開される本作を、先んじて観る機会に恵まれた。

PTPはスクリーンに映し出されるべき存在であるということは、映画化のニュースを聞いたときから理解できた。説明にある通り、彼らがその後の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。映画の証言でも聞くことができたけれど、PTPは2000年代半ばから、海外のニューメタルでも、それを日本で再解釈したミクスチャーロックでもない、それでいてエモやハードコアにもはまらない、オルタナティブかつヘヴィな――いわゆる「ラウドロック」を広め、ラウドロックとパンクロック、さらに、もっと幅広いジャンルとの垣根を、そのメッセージ性と存在感、演奏力といった、どんなバンドにも必要な芯の太さで突破した。それそのものだけでも伝説級なのに、これからという時期だった2012年12月30日、バンドの芯のさらに芯とも言えるK(Vo)が急逝してしまったのだ。もう、Kがステージに立っている姿、K、PABLO(G)、T$UYO$HI(B)、ZAX(Dr)の4人が揃っている姿は見ることができない。そのことで、より伝説的になっ(てしまっ)た。だからこそ、あらゆる証言――PTPやKと共に在った人たちの生きた言葉や、今や貴重となったライブやレコーディング、オフの映像を集結させて映画化すれば、PTPを見てきた人のみならず、Kが逝去してからPTPを好きになった人も、より深く知る機会になるだろう。確かに後世に残すべき記録になると思った。でも、それでも、勝手なわがままだけれど「伝説になってほしくない」と思っている自分もいた。だって、今もPTPの言葉と音は、生々しく心と身体を揺さぶるからだ。

映画は、結成当初からの歴史を細やかに追い、2008年に脱退したJINも登場し、貴重な映像も挟み込まれた内容だった。公式サイトの説明にあった「関係者の証言」は、当時VAP、現ワーナーミュージック・ジャパンのタナケン(田中健太郎)さん以外は、すべてバンドマンということもあってか、本当に率直な言葉や逸話ばかり。また、当時のKの言葉も率直で、「PTPを形作ってきたピュアネス」がクリアに伝わってきた。
Kの逝去後、2013年11月にPTPは、Kのレコーディング済の楽曲に加え、ゲストボーカルを招いて作ったアルバム『gene』をリリース。そして、Kが逝去してから1年がたった2013年12月30日、Zepp Tokyoにて「From here to somewhere」を開催し、正式に活動休止を発表した。私も足を運んだが、メンバーもファンも心を痛めながら、でも現実に向き合わなければと葛藤しながら、爆音で抱きしめ合うようなライブだった。また映画には、それから約6年後の2020年2月2日、coldrain主催の「BLARE FEST. 2020」にPTPが出演し、Masato(coldrain)をはじめとして『gene』に参加したボーカリストたちと共にステージに立ったパフォーマンスが、全編ノーカットで収められている。
そう、この映画では、Kが逝去してからの出来事が半分近くの尺を占めているのだ。ああ、こんなに時間がたったのか……そう思わざるを得ないくらいに。でも、過去と言えないほど近い時期でも、過去になりすぎている遠い時期でもない、2023年の今、映画化されることで、PTPはいつまでも生き続けるのではないか、そう思えた。

時間は流れて、ライブが楽しいバンド、演奏がうまいバンド、ジャンルレスに活躍するバンド、たくさんのバンドが出てきた。でも――本当はすべて映画が物語っているので、その目で観てほしいのだけれど、ひとつだけ発言を引用するとすれば――Masatoが言っていた通り、PTPのように「(音楽が)刺さった人たちの人生を変えたバンド」は、なかなかいない。
「痛み」を誰よりも知っていたバンド、Pay money To my Pain。今から触れても、きっと人生が変わるはずだ。この映画は、その入口になるに違いない。(高橋美穂)

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