星野源が初のMV作品集で教えてくれた「音楽」を楽しむ極意とは

星野源が初のMV作品集で教えてくれた「音楽」を楽しむ極意とは

星野源『Music Video Tour 2010-2017』のディスクレビュー(こちら→http://ro69.jp/disc/detail/160647)に、僕は「これは、ミュージックビデオ集という体裁の壮大なアーティストドキュメンタリーだ」と書いた。彼の作品がブックレットやら特典映像やらで大ボリュームになるのは今に始まったことではないが、それにしてもこの作品に込められた熱量はいったい何なのか、考えてみたい。

ソロの音源作品がドラマティックに成長・変化してきたのと同じく、MVにもその時折の星野源が伝えようとするものがビビッドに反映されている。ユニークなアイデアを絞り出し、限られた制作予算の中で良い作品を手掛けようとしていた頃も。体調の問題に直面しながら、それを逆手に取るビデオを制作したときも。星野源はMVに深く関わり、思いと息遣いを残そうとしてきたわけだ。

そこには、音楽と共にある映像の力を借り、より深く音楽の中に入り込むことが出来た、という星野源自身の体験が活かされているのだと思う。たとえば『キツツキと雨』主題歌の“フィルム”は映画のストーリーを踏まえながらもマイケル・ジャクソン“スリラー”の大作ビデオを彷彿とさせるものになっているし、“Crazy Crazy”はクレイジーキャッツへのオマージュとして具体的なビジュアルイメージを伝えるものになった。

井手茂太、そしてMIKIKOというふたりの振付演出家/ダンサーをトークゲストに招いているのも、MV制作に協力してきたこのふたりが、星野源の思いを体現し増幅してくれる表現者たちだからだ。「ダンスは音楽の添え物ではなく、音楽を何倍にもおもしろくしてくれるもの」。肉体を演奏するダンスは、ときに驚くほど雄弁な「音のない音楽」に、あるいは「声なき歌」になり得る。

あの恋ダンスの大ブームは意図的に仕掛けられたものではなかったが、星野源は『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマの主題に深く入り込む楽曲を生み出し、PVは楽曲と歌詞のメッセージを視覚化しつつ高揚感を増幅させた。我々は、その高揚感に駆り立てられ、こぞってあの難易度の高いダンスを踊ったのである。自ら多彩なアーティストとして成長してきた星野源は、物語も映像も音楽も振付も、どれひとつとして添え物にはならずに互いが互いを引き立てる幸福な化学反応を知っている。

我々はなぜ、音楽を好きになったのだろう。音楽に触れてウキウキワクワクしたから? アーティストのルックスに魅せられたから? アーティストの言葉に痺れたから? 好きな人が聴いていたから? 道筋はなんだっていい。星野源はすべての道を作る。ソロデビュー時の柔らかな衝撃は今も鮮明に思い出すことが出来るけれど、より広く伝えたい、おもしろいことをやりたいという星野源の表現の自由は、人々がそれぞれに音楽を体感し、理解する自由を育んできたのである。(小池宏和)
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