星野源のライブがいつも特別な記憶になる理由

横浜アリーナ公演2日目を観た。
音楽的にも、パフォーマンス的にも、演出的にも、2014年の星野源の集大成となるような素晴らしいものだった。
しかし、それだけでなく、やはり今日だけしか観られない何か特別なものを残すライブであり、それは横浜アリーナだったからではなくて、実はこれまで観てきた星野源のライブすべてがそうであったことに気づいた。

それを象徴するエピソードがーー怒るファンの方もいるかもしれないことを承知で書くけれど、星野源がライブの序盤で「うんこ」をするために15分間、ステージからいなくなったことだった。

最初のMCで、彼は「ちょっと諸事情あってーー僕の身体的サプライズがあって、このまま曲に行きます」といった。
そして、2回目のMCで「その、僕の身体的サプライズを発表します。実は、さっきここに出てきた瞬間、むっちゃ“うんこ”したくなって。行ってきていい? (バックのメンバーに)じゃあ、ちょっとなんか喋ってて」と言って堂々とステージから去っていったのだった。
しばらくのぎこちないトークの末に、もてあましたメンバーたちは「うんこしてた人を向かえ入れる曲」というフリーセッションを始めたのだった。
そして星野源、ステージから去って15分後にフリーセッションに合わせてステップを踏みながら帰還。
「よし、本来の俺」

なぜ、これが星野源のライブを特別な記憶にするか?
もう否が応でもこんなことがあったら特別な記憶になるということでもあるのだが、でも星野源は、もちろんこれを狙ってやったわけではない。
しかも他のアーティストだったら同様の「身体的サプライズ」があったとしても絶対にこのような展開にならないだろう。

彼は、誰にでもある全く特別ではないことを自身最大キャパの横浜アリーナのワンマンライブの最中に普通に堂々とした。
この日のライブを特別なものにするための、ずっと昔からの孤独な曲作りも含めての膨大な努力を凝縮させた約2時間半のなかで、あっさりと特別ではないことをしたのである。
そういう特別ではないことが、特別なライブをより特別な記憶にするということを星野源はわかっている。
昨日の「うんこ」のような象徴的なものでなくても、星野源のライブにはいつもそんな何かがある。

星野源の「ライブ」というよりも「うんこ」のレビューになってしまってすみません。
繰り返しますが、本当に素晴らしいライブでした。(古河)
CUT 編集部日記の最新記事
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする