ニルヴァーナのカート、「自分でもゲイだと思ってた」と語る93年のインタヴューが発掘

ニルヴァーナのカート、「自分でもゲイだと思ってた」と語る93年のインタヴューが発掘

ニルヴァーナのカート・コバーンのインタヴューが新たに発掘され、公開されている。インタヴューはイギリスの音楽ジャーナリスト、ジョン・サヴェージが1993年に行ったもので思春期に感じていた孤独感や疎外感、パンク・ロックとの出会いなどについてカートはざっくばらんに語っている。

たとえば、高校で周囲との軋轢を感じていたかと問われ、カートは次のように答えている。
「あまりにも人と違って自分がおかしいように思えるもんだから、他のみんなも俺のことを放っておいてくれてたんだよ。みんなも俺のことは『高校のダンス・パーティで一番大量殺戮をやらかしそうな人物』に投票してくれそうな気がしてたよ」

また、自分の家族については次のように語っている。
「母はいつも家庭の中でイギリス風の文化を持ち込もうとしてて、うちではいつも紅茶を飲んでたよ。自分の家の祖先についてはまるで知らなかったんだけど、今年になってうちの名字のCobainはアイルランド系なんだってわかったんだ。電話帳をめくっていっても、実はCobainってまるで見つからなくて、その後、サンフランシスコでCobain家の歴史を調べているという人のことを知って、(アイルランドの)コーク郡出身だったって教えてもらってね。これがまた不思議な偶然で、ツアーした時に俺たちはそのコークで演奏したことがあったんだよ。それで滞在した日は頭がぼうっとなった状態で一日中街を歩き回って過ごしたんだ。あれほどスピリチュアルな気分になったことはないよ。一日中ずっと今にも泣きそうな気分で、本当に妙な体験だったな」

特に自身の家庭については次のように答えている。
「離婚するまでは子供時代は幸福だったんだ。それから突然、世界が一変しちゃったんだよ。学校の友達ともなんだか自分がみじめに感じてまともに付き合えなかった。ちゃんとした昔ながらの家庭に育ちたかったんだよ。母親と父親に囲まれてね」

パンク・ロックとの出会いや女子との方が馴染めたことについては次のように語っている。

「友達のことは、特に気の合う男子の友達は見つからなかったから、女の子と仲良くなることがよくあったんだよね。しかも、女子ってちゃんと尊重されて扱われてないような気がしてたんだ。女性って基本的にものすごく抑圧されている存在だからね。女性に対して雌犬とかまんこ呼ばわりするのはいたって普通なことだったし。けれども、エアロスミスだとか、レッド・ツェッペリンを聴いていて、こうしたバンドの持つメロディはすごく好きだったから、こうした音楽の多くが性差別をはらんだものになっていると気づくまですごく時間がかかったんだ。ちんことセックスについて書いているところなどがね。その頃、高校の終わりの頃とかに、俺もようやく自分がなんに対してこんなに怒っているのかわかってきて、そこへパンク・ロックに晒されてすべてがはまったんだよ。パズルのピースがはまるように腑に落ちたんだよ。パンク・ロックは俺が社会や政治に対してどう感じているのか、すべてについて表現してくれていたんだ。俺が感じていた怒りとか、疎外感とかね」

また、かつてゲイと思われていたことについては次のように回想している。
「自分でもゲイだと思ってたくらいだったからね。自分が抱えている問題の答えはそこかなと思ったりしたこともあったよ。実際に試す機会はなかったけれども、ゲイの友達がいて、その後、母がその友達と親しくするのを俺に禁止したんだ。母はまあ、ホモ嫌いだったからさ。俺には本当にうちのめされるような体験で、というのもようやくみつかった男子の友達で、ハグしたり本当に好意を持ってたからなんだよ。いろんな話もし合ったからね」

また、1993年の時点では人生が明るくなったように思えたと次のようにカートは語っている。
「特に結婚して子供が生まれたからね。この一年で俺の精神状態と身体の状態と100パーセントよくなったっていえるくらいなんだ。これほど楽観的な気分って、両親の離婚の前の頃以来だよ(笑)」

インタヴューはアメリカの公共ラジオ局PBSによってアニメ付の動画として公開されている。

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