ニルヴァーナが最初にサブ・ポップと交わした契約書がウェブ上で公開

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  • ニルヴァーナが最初にサブ・ポップと交わした契約書がウェブ上で公開 - サブ・ポップのサイトに公開された契約書

    サブ・ポップのサイトに公開された契約書

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  • ニルヴァーナが最初にサブ・ポップと交わした契約書がウェブ上で公開 - サブ・ポップのサイトに公開された契約書

ニルヴァーナを世に送り出したサブ・ポップは、バンドと最初に交わした契約書を自身のサイトで公開している。

契約は1989年から発効し、1年と猶予期間2年によるもので、バンドは1年ごとにサブ・ポップにアルバム1枚分のマスター・テープを納品することになっていて、1年目にサブ・ポップはバンドに前金600ドル(89年のレートで約12万1200円)、2年目には前金1200ドル(約24万円)、3年目には前金2400ドル(約48万円)を支払うことになっている。ただ、前金分の金額はそれぞれのその年にリリースされた作品の売上から差し引かれる取り決めになっている。また、この契約書によるバンドのメンバーはカート・コバーン、クリス・ノヴォゼリック、チャド・チャニング、ジェイソン・エヴァーマンというラインナップになっている。

ジェイソンはファースト『ブリーチ』のスタジオ制作費の606ドルを負担し、レコーディング後にセカンド・ギタリストとしてバンドのツアーに加わったが、バンドに馴染めず脱退した。バンドは1990年4月頃からプロデューサーのブッチ・ヴィグとレコーディングを始めるようになり、この時期からチャドとの関係が悪化し、やがてチャドが脱退して、9月にデイヴ・グロールが加入することになった。その後、ソニック・ユースのキム・ゴードンのアドヴァイスを得て、バンドはメジャーのゲフィン・レコードと交渉を開始し、サブ・ポップとの契約そのものをゲフィンが買収することになり、90年からゲフィンとの契約を新たに交わすことになった。

この契約書についてサブ・ポップのオフィシャル・サイトでは「600ドルの元は取れた。といっても、現金で払ったわけではないが」とコメントされている。
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