エリック・クラプトンとのコラボで有名なJ・J・ケイルが心不全で他界

エリック・クラプトンとのコラボで有名なJ・J・ケイルが心不全で他界

シンガー・ソングライターでエリック・クラプトンやレーナード・スキナードへの楽曲提供で知られるJ・J・ケイルが7月26日に他界した。心不全で倒れた後、カリフォルニア州サンディエゴ近郊のルホイアのスクリップス病院で息を引き取った。享年74歳だった。

フォークやジャズを織り交ぜレイドバックしたブルース・スタイルで知られるJ・Jはオクラホマ州タルサでパフォーマンス活動に身を投じるようになり、1964年にカントリー・ミュジックのパッケージ・ショー・ツアーのグランド・オール・オプリ・ロード・カンパニーに参加した。その後、ロスアンジェルスに移り、レコーディング・エンジニアとなり、レオン・ラッセルやスナフ・ギャレットらのレコーディングを手がけるようになった。

自身のレコーディングは1965年にリバティ・レコードからリリースしたが、この時のB面曲がエリック・クラプトンのカヴァーで有名な“アフター・ミッドナイト”だった。その後、エリックはやはりJ・Jの筆による“コカイン”をカヴァーしてこれも大ヒットへと繋がった。レナード・スキナードもまたJ・Jの曲の“コール・ミー・ザ・ブリーズ”のカヴァーでヒットに成功し、2006年にJ・Jはエリックとのコラボレーション『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』でグラミー賞に輝くことになった。

J・Jは1972年の『Naturally』をはじめとしてアルバムを15枚ほどリリースしたが、取材には滅多に応じることもなく、キャリアの前半においてはジャケットに写真の掲載を避けるなどして匿名的な存在としてキャリアを貫いた。1999年にJ・Jはシカゴ・サン・タイムス紙に次のように語っている。

「ぼくは後ろの背景の方が似合っている人物なんだよ。ぼくは看板になるような存在じゃないんだ。ぼくの音楽を聴いたことのある人は多いんだけど、でも、ぼくの知られている曲はどれもほかの人に有名にしてもらった曲なんだよ。でも、ぼくはそういう境地を目指してきたんだよ」

その活動は決して派手ではなかったがJ・Jは自身に続いた世代のミュージシャンにも少なからずの影響を与えることになった。ベックは2009年のロスアンジェルス・タイムス紙とのインタヴューで次のようにJ・Jについて語っている。

「あのさりげなさ、あの抑えたところ、あの出過ぎない演奏とやり過ぎない歌がとても力強く響いたんだ。より抑えて、楽曲の中ですべての要素を抑えていくこと、そのことからぼくは多大な影響を受けているんだよ」
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