ザ・ドアーズのレイ・マンザレクが癌との闘病の末5月20日に他界。享年74歳

ザ・ドアーズのレイ・マンザレクが癌との闘病の末5月20日に他界。享年74歳

ザ・ドアーズのキーボーディストであるレイ・マンザレクが5月20日にドイツのローゼンハイムにて74歳で他界した。レイは長く胆管がんとの闘病を続けていた。

ドアーズのギターのロビー・クリーガーは次のような声明を発表している。
「友達でありバンド仲間だったレイ・マンザレクが今日亡くなったと聞いて深い悲しみに襲われています。ここ10年、一緒にドアーズの曲を演奏出来たことが今となってはただ嬉しいだけです。レイは僕の人生でも大きな存在を占める人だったし、これからもその不在を僕は嘆くことでしょう」

レイはシカゴで生まれ育ち、1962年にカリフォルニア大学ロスアンジェルス校映画学科に入学し、ジムと知り合ったが、バンドを組もうという話が二人の口から出たのは1965年の夏にロスのヴェニス・ビーチでたまたま出くわした時だった。この時、ジムがレイにいくつか音楽作品を書いていると打ち明けたと、レイは自身の回想録『Light My Fire』で明らかしている。

「そうしたらそのままバンドができたんだよ。かなり単純に、無邪気にジムの口から発されたことだったんだけど、それが僕たち全員の人生を変えたんだよ」

二人はドラムのジョン・デンスモアとロビーとバンドを結成し、ロスアンジェルス周辺の店ライヴ・サーキットで活動を始め、その1年後にはエレクトラ・レコードからリリースするデビュー作をレコーディングすることになった。「いったん僕たちの音を人に聴かれたら、もうとどまることを知らない勢いになるというのはわかってたんだ。僕たちはみんなが欲しがっていたものを知っていたからね。それはドアーズも希求していたもので、それが自由だったんだよ」とレイは回想記で振り返っている。

バンドが6枚目のアルバム『L.A.ウーマン』をリリースした後にジム・モリソンは1971年にパリで急死。その後、バンドはジム抜きでアルバムを2枚リリースしたが、73年に解散した。

レイはその後もプロデューサーやキーボード・プレーヤーとして活躍したが、2002年からはロビーとザ・カルトの元ヴォーカル、イアン・アシュベリーとともにザ・ドアーズ・オブ・ザ・トゥエンティファースト・センチュリーとしてツアーを始めたが、ジョン・デンスモアからバンド名のドアーズの使用をめぐって訴訟を起こされ、その後ユニット名の変更を余儀なくされた。ジムの生前はほとんどのクレジットも収入もバンドのメンバーで山分けになっていたというが、レイは次のようにその辺の事情を『ローリング・ストーン』誌に06年に語っている。

「ジムは僕たち3人にジムの歌詞の世界に飛び込み、ジムの周りをゆらめく音楽を作るようにと要求してきたんだ。だけど、ジムがいなくなると、みんなそれぞれにそれぞれの方向に向かうようになってしまってね。ザ・ドアーズというのは、4人の人間の完璧なミックスであって、それぞれのエゴも見事にバランスが取れてたんだ。『これはお前が書いた』『これは俺が書いた』という問題は絶対に起こらなかったんだよ。でも、ジムが死んだらそのダイナミズムが崩壊したんだよね。4人目がいなくなっちゃったからさ」
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