ラム・オブ・ゴッド、ファンの死亡事件を受けて遺族との約束を公開書簡で明らかに

ラム・オブ・ゴッド、ファンの死亡事件を受けて遺族との約束を公開書簡で明らかに

チェコで観客の事故死の責任を問われ、3月にチェコの法廷で無罪判決を勝ち取ったラム・オブ・ゴッドのランディ・ブライスだが、昨年6月にランディがチェコで逮捕されて以来、初めてバンドがツアーに乗り出すにあたってランディは公開書簡を発表している。

ランディは昨年6月28日に公演を予定していたチェコのプラハを訪れたところ空港で逮捕されたが、容疑は2010年5月24日にプラハのクラブ・アバトンで行われたライヴで起きたファンの死亡事故をめぐるもので、ダイビングをしていて床に頭部を打ちつけて、その後死亡したファンの死の責任を問われていた。

ツアーの初日となるノースカロライナ州アッシュヴィル公演の前にランディはファンに対して、ライヴでモッシュなどに加わることにはそれなりのリスクが伴うものだと表明していて、自分の身の安全については自分で考えようと訴えている。

「もしきみが熱烈なファンでラム・オブ・ゴッドのライヴに来るのなら、あるいは誰のライヴでも、モッシュやクラウド・サーフィンが行われているライヴに来るのなら、自分のやっていることにはリスクもあるとわかってほしい。だから、頭を使ってほしい。自分にとって荒っぽすぎると感じたら、怪我をする前にそこから脱けてほしい。ライヴというのは俺たちのコミュニティーなんだから、俺たちはお互いに面倒を看合っていかなきゃいけないんだよ。ライヴというのは俺たちが全員がひとつとなって、楽しんで、お互いを支え合ってなきゃいけない場なんだ。大体、現実社会で俺たちはいくらでも踏みつけにされるんだから、ライヴでまでそんなことをされる必要はないんだ」

さらにライヴの会場側に対してランディは次のように宛てている。

「セキュリティーというのはバンドとファン、そして会場側のビジネスを守るためにあるんだよ。セキュリティーやバリケードなど安全なライヴのための環境を提供できないんだったら、ライヴをやらない方がいい。数ドルのお金で人を入れて命の危険を弄ぶようなビジネスはありえないはずだから。どんなにお金が儲かったとしても、自分のやっている業務の中で誰かが死んでしまったらそれはまったく見合わない話なんだ」

しかし、こうした発言をランディが行ったのは今回の経験を通しての個人的な警告であるだけでなく、一昨年問題のライヴで亡くなったファン、ダニエル・ノセクの遺族からの要請でもあることをランディは明らかにしている。

チェコの裁判ではステージダイヴィングやモッシュが、ある種のスタイルのロックのライヴでは日常茶飯事であることをまず法廷に理解してもらうことから始めなければならず、こうした行為が決して悪意から行われているわけではないことをランディは時間をかけて、証言やヴィデオなども使って丁寧に説明していかなければならなかったという。それでもランディの性急なステージ・アクション、ダミ声、大量の汗、そして暑さからバケツで水を浴びていた行為などがすべて検察からは「酔っているか、薬物の影響下にあるか、悪意を抱いている」証拠だと追及されることになり、それを反証していくうえで、当日素面だったことで本当に命拾いをしたとランディは語っている。「俺たちのシーンの外の人間が俺たちのライヴでの振る舞いを理解するには長々とした説明が必要なのは当然のことで、いくら説明したところで頭がおかしいと思われるのがオチかもしれないんだ。でも、俺の場合には最後には無罪放免になって、晴れて自由の身に戻れることになったんだ」とランディは今回の裁判で味わった困難さを説明している。

しかし、その間、亡くなったダニエル・ノセクの遺族は公平に自分と接してくれたとランディは語っている。

「たとえば、ダニエル・ノセクの遺族がプレスで俺を非難することは一度もなかった。公でもプライヴェートでも俺に敵意を向けることはなかった。判事、検察官、警察官らの前でダニエルの遺族は俺を貶めるようなことはしなかったし、法廷で俺に対して敵意を込めた視線を投げかけてくることもなかった」

「ダニエルの家族は俺に対して後ろ指を指すようなことは一切しなかった。ダニエルの家族はみんなただ、自分たちの息子の身になにが起きたのか知りたかっただけで、だから、法廷に来て、俺は自分の知っていることをできるだけ丁寧に説明したんだ。判決が出る前にダニエルの叔父(法廷ではダニエルの遺族の代表を務めていた)はどのような金額を受け取ったところで、ダニエルが帰ってくるわけではないと判事に訴え、その後、賠償金の請求を取り下げることになった。また、その叔父は、ダニエルが亡くなったのはダニエルの父親の誕生日で、そのため母親がダニエルの死を境にろくに仕事にも打ち込めなくなってしまったことを俺に理解してほしいと訴えてきたんだ」

「それだけだった。ダニエルの家族はダニエルの死がどれだけ残された家族を打ちのめしたかを理解してほしいという以外には、この法廷で俺になにも要求しなかったんだ。そこには悪意はなく、本物の正直な痛みがあっただけで、それが俺にはあまりにも慣れ親しんだはずの感情だったんだ。それは俺がこれまで目撃した中でも最も優れた、心の強さと品格の一例だったよ」

そのせいで無罪放免という判決も複雑な心境で受け取らざるを得なかったとランディは語っていて、安堵は感じたものの深い悲しみを伴った納得のいかなさも感じたという。その後、ダニエルの叔父から個人的に会ってほしいという要請があり、ダニエルはプラハを後にする前に借りていた部屋に家族らを招待したという。そこで家族と会話を交わしたが、ダニエルの家族からは二つのお願いごとをされたとランディは明かしている。

「ダニエルの母親はいつかダニエルのために曲を演奏してほしいと、ただそれだけを言ってきたんだ。その言い方にこもっていた温情に俺は感銘を受けてしまったよ。この母親からのこんなささやかなお願いが俺にとってはあまりにも大きな贈り物となったからなんだ。というのは、これまで何年もこの仕事を生業にしてきて、この先それをどうやって続けたらいいのか俺にはもうわからなくなっていたところだったからなんだ。

もちろん、俺はダニエルのためにたくさん歌を歌うことにしたよ」

そして、帰り際にダニエルの叔父は次のような言葉をランディに託したという。

「『忘れないでほしいんだ、きみなら、より安全なライヴ環境のためのスポークスマンになれるんだよ。きみにはその力がある。だから、きみの幸運を祈るよ。また思いっきり自分の人生をこれからも生きてほしい』と言われたんだ。俺は必ずそうすると約束したんだ」
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