ディスコの女王、ドナ・サマーが63歳で他界

ディスコの女王、ドナ・サマーが63歳で他界

"愛の誘惑"、"アイ・フィール・ラヴ"、"ホット・スタッフ"などのヒット曲で知られ、ディスコの女王と謳われたドナ・サマーが5月17日にフロリダ州の自宅で他界した。享年63歳だった。

マサチューセツ州ボストン出身のドナは30年以上にわたるキャリアにおいてアルバム17枚を発表してきたが、ここ数年は癌との闘病を続けていて、そのなかにおいても地元フロリダで新作に向けた作業も続けていたという。

ザ・シュプリームスなどのモータウンのアーティストやジャニス・ジョプリンに影響を受けたドナは、当初ロック・バンドのヴォーカルとして活動を始めたが芽が出ず、やがてミュージカル『ヘアー』のドイツ公演の役を得て渡欧。そのままオーストリアに活動の拠点を移し、結婚もして姓がソマーとなったが、その後、離婚した後もドナはこの苗字を英語風にサマーと名乗り続けることになった。

やがてヨーロッパのディスコ・ブームの先鞭をつけたプロデューサーのジョルジオ・モローダーの目にとまり、デビュー・アルバム『Lady of the Night』をリリースし、オランダ、ベルギーなどでブレイクを果たす。このブレイクの後にドナがマリリン・モンローを意識して制作したというシングル"愛の誘惑"がイギリスでも大ヒット。やがてアメリカ向けにロング・ヴァージョンも制作されるとビルボード・チャート2位を記録し、アルバム『愛の誘惑』も100万枚を超える世界的な大ヒットとなった。

その後は1977年の『アイ・リメンバー・イエスタデイ』や79年の『華麗なる誘惑』などの大ヒットでディスコ・ブームの立役者のひとりともいわれる存在となったが、1980年にダンス・ミュージックの名門カサブランカからゲフェンへ移籍すると、ニュー・ウェイヴ路線へと方向転換した『ワンダラー』をリリースし、それまでのセクシー・ディスコ路線と決別した。

その後もコンスタントに作品のリリースを続けたが1991年の『ミステイクン・アイデンティティー』以降はブランクが空くようになり、08年の『クレヨン』が最後のオリジナル・リリースとなっていた。


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