モリッシー、現代とは人々が薄らバカであることを前提とする時代だと語る

モリッシー、現代とは人々が薄らバカであることを前提とする時代だと語る - モリッシー 1988年作『ビバ・ヘイト』モリッシー 1988年作『ビバ・ヘイト』

モリッシーは現代のメディアでの情報の伝えられ方について「ぼくたちは知識レベルを下げられた時代を生きている」と批判している。

なお、新作が完全に完成していつでもリリースできる状態であるにもかかわらずモリッシーは今もレコード契約にありつけてなく、リリースの目途も立っていない。

現代のメディアの状況をどう思うかとクラッシュ誌に訊かれ、モリッシーは次のように答えている。「ぼくたちは知識レベルをひどく下げられた時代を生きているんだよ。すべてのメディアが、ニュース・メディア、音楽、音楽誌における情報の提示の仕方は、受け手がただのうすらバカであるという前提に立っているんだね」。

また、モリッシーは自分の発言やコメントの内容と正面から取り組まずにうっちゃる方便としてメディアが自分に「頭のおかしいモリッシー」というイメージを植えつけていることを批判している。

「ぼくは今では正式に頭のおかしいモリッシーにされたと思うんだよ。そうやってぼくの発言はすべて茶化されるわけで、それはこうした発言の実際の内容への対応の仕方としてそれしか思いつかないからなんだね。先の暴動についてもメディアはその解決法として処罰をという強迫観念に囚われていて、人々が人々のとった行いをどうして起こしたのか、それを問う知性を誰も持ち合わせてはいないんだ」

その一方でモリッシーはバンド活動を始めたそもそもの動機について説明し、もともとミュージシャンなどにはなりたくなく、観客をひとつの旅に誘うような存在になりたかったと語っている。

「ぼくは決してミュージシャンなんかにはなりたくなかった。ぼくは直立不動で歌い倒すような、そんな人になりたかったんだ。たいていのミュージシャンがそうするようにステージの床をみつめたままのパフォーマンスなどご勘弁願いたかった。船からせり出した板を目隠しで歩いてみせ、落ちるなら落ちたで波にもまれ、その代償を引き受けるつもりだった。ぼくは過剰なまでにみんなに与えたかったんだ。アル・マティーノやマリア・カラス、エディット・ピアフ、そしてイカレていた頃のトム・ジョーンズのようにね。歌い手があまりにも感情移入してしまい、観ている方が逆に気後れしてきて居心地悪くなって、でも、やっぱり大好きになってしまうという、ぼくはそういうのが好きなんだよ。現代の歌い手やバンドで観客を誰も知らないところまで連れて行くことなんて、まず滅多に起こらないことだからね」


(c) NME.COM / IPC Media 2011
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