ペリー・ファレルが語る、ロラパルーザ最大の5つの思い出

ペリー・ファレルが語る、ロラパルーザ最大の5つの思い出 - ジェーンズ・アディクション 1990年作 『ジェーンズ・アディクション』ジェーンズ・アディクション 1990年作 『ジェーンズ・アディクション』

もともとはジェインズ・アディクションの解散ツアーとして91年に立ち上げられ、オルタナティヴ・ロックやヒップホップを一堂に会させた画期的なフェス・ツアーとして始まったロラパルーザ。その後、中断した時期もありつつ、今ではシカゴを本拠地として3日間開催の巨大フェスとなっているが、このフェスのキュレーターとして中心的な役割を担ってきたのがジェーンズ・アディクションのボーカル、ペリー・ファレル。そのペリーがローリング・ストーン誌にロラパルーザの最大の思い出を5つ語っている。

そのうちのひとつが91年の初回のロラパルーザで、特にジェーンズ・アディクションとアイス‐Tとでスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの“ドント・コール・ミー・ニガー・ホワイティ”を演奏した時のこと。「ヒップホップとロックが一緒のツアーに出て、すごくいい結果を出したというのはあれが初めてのことだったんだよね」とペリーは解説する。

ふたつめはパール・ジャムのエディ・ヴェダーの驚異のステージ・ダイブで、これは92年のこと。ちょうど『テン』でパール・ジャムがブレイクした年で、エディ・ヴェダーがやたらとスピーカーやステージの骨組みによじのぼる姿が見かけられたというのだが、その究極の光景をペリーはここで目撃する。「2段組に建ててある巨大のスピーカーのてっぺんまで上っていくと、そこから観客席のなかで両腕を広げてダイブしていったんだよ。『こいつ、頭が変だ!』って焦ったけど、全然怪我もしてなくさ。で、そのまま“イーヴン・フロウ”を叩きつけていったんだよ」。

お次は97年のスヌープ・ドッグ。実は96年と97年にラッパーとして世界的な人気を2分していたトゥパックとノトーリアスB.I.G.が銃殺されるということがあって、スヌープはこの年のツアーをすべてキャンセルしていたのをあえてロラパルーザには出てもらったのだ。「それでロラパルーザ・ツアーの間、ずっと防弾になったバンで移動してもらっていて、ステージまでそのバンで乗りつけてもらってたんだよ。で、ライブをやったらまたバンに飛び移って野原を走り去っていくと。そこまでしてもあの年にスヌープに出てもらえたことがすごく嬉しかったよ」。

ロラパルーザは04年からツアー形式からシカゴを本拠地とする通常のフェス方式へと姿を変えたが、この年の出演者でペリーが圧倒されたのはブレイクしかかったばかりのアーケイド・ファイア。「大天使ガブリエルのファンファーレのラッパを聴くのはこういうことかと思ったね。彼らの音楽の質感と紡がれ方が歓喜に満ちていて、我を失いそうだったな」。

そして、最後は08年に念願のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの出演を実現させたこと。「トム・モレロとつるんだりご機嫌をとったりでこっちもすごく頑張ったんだよ。トムのリクエストにも応えてトムのレコーディングで歌もやったし。でも、いったん出てもらったら、音として圧倒的だった。あの音で人を拷問したら、なんでも白状するよ。それほどラウドだったんだ」。

なお、今年のロラパルーザでは8月6日から8日の開催を予定していて、レディー・ガガ、グリーン・デイ、サウンドガーデンがヘッドライナーとなる。同じメイン・ステージにはXジャパンの出演も予定している。
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