セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ、マルコムの死を悼む

セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズ、マルコムの死を悼む

セックス・ピストルズのギタリスト、スティーヴ・ジョーンズは8日にガンとの闘病の末亡くなったマルコム・マクラレンへの悼辞を表している。

発表されたコメントによると、スティーヴはどうしてもマルコムにはまあいいかと許してしまうところがあって、さらに「パンク・ロックにおけるブライアン・エプスタイン」だと語っている。

「マルコムに対してはどうしても許してしまう弱点が俺にはあってね」とスティーヴは語っている。「マルコムのことは17歳の頃から、ピストルズを結成する前から知ってたから。よく(当時のマルコムのパートナーの)ヴィヴィアンの車で、俺が運転してマルコムをロンドン各所の仕立て屋に連れ回したりしてたんだ」。

「マルコムは間違いなくパンク・ロックのブライアン・エプスタイン(ビートルズをリヴァプールで発掘したマネージャー)だった。マルコムがいなかったら、たとえその後パンクがやっぱり起きてたとしてもああいう形にはならなかっただろうな。いろいろ意見の食い違いも俺たちの間にはあったけど、それでもずっと友達ではい続けたよ」。
「大好きなやつだったし、俺のマルコムの一番の思い出は21歳になった時のマルコムからの誕生日プレゼントだったかな。売りをやってる女を都合してくれて、おまけにヘロインまで用意してくれたんだよ」。

セックス・ピストルズの結成にとってマルコムは不可欠な人物で、また、その後のさまざまな悪名高いピストルズのパブリシティ・イヴェントを画策したのもマルコムだった。そのなかには、バッキンガム宮殿の前でピストルズのレコード契約の調印式を行ってみたり、あるいは新作発表記念パーティをテムズ川を行き来する船上で行い、バンドが大音量で船上で演奏するというものもあった。この船上パーティの騒ぎではバンドのほか一行は警察に逮捕された。

その一方でマルコムの息子、ジョー・コールによれば、マルコムの臨終の言葉はアメリカで冤罪の可能性を問われているレナード・ペルティエを釈放しろというものだったそうだ。

アメリカ原住民の血を引く政治活動家のペルティエは75年にFBI捜査官を2名を射殺した罪により現在は刑務に服している。

「父の最期の言葉は『レニー・ペルティエを釈放しろ』というものでした」とジョーは説明する。病床にはジョーのほか、異父兄弟のベン・ウェストウッドも同席していたと、ジョーはデイリー・テレグラフ紙に語っている。

「ベンがちょうどこのスローガンの入ったTシャツを着ていて、それを見た父はその通りだと言いました。そういう主張を持つベンのことが誇らしげでしたし、最期までユーモアに溢れた死に際で、微笑んでいました」

「父の最期の願いは、新しいスーツを着せて、父が育ったロンドン北部の近所にあるハイギット霊園に葬るようにということでした」

「父はあの近辺に愛着があって、霊園に問い合わせたところ、幸いにも空きがあるとのことでした」とジョーは語っている。

(c) NME.COM / IPC Media 2010
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