ずっと真夜中でいいのに。の音楽が闇の側から僕らの未来を強く輝かせることについて

ずっと真夜中でいいのに。の音楽が闇の側から僕らの未来を強く輝かせることについて
ずっと真夜中でいいのに。」という、ふと漏れてしまった独り言とも取れる言葉。なぜ真夜中でいいと思うのだろうか? ただただ静かに暗闇のなかに落ちていきたいのか、それともそんな空間でないと見えない光を求めているのだろうか。はたまた本心とは裏腹の言葉なのだろうか――。理由の真相は定かではないが、ずとまよの音楽はその名が示すとおり「本音」と「願望」の結晶なのではないだろうか。

ボーカリスト・ACAねの綴る歌詞は、素直な心情吐露だけでなく、天邪鬼な気質も含まれている。“勘冴えて悔しいわ”や“正義”など同音異義語を用いた言葉遊びはどこかシニカル。文字上だけで触れられる毒気に感心すると同時に、思わずくすりとしてしまう。理路整然としていない、感情の欠片を詰め込んだような言葉の羅列。それは取り留めのないタイムラインのツイートのようでいて、混沌とも捉えられる歌詞世界だが、だからこそ「取り繕う行為」や「嘘」が存在しないことが感覚的にわかる。そんな言葉たちは、意味を超越して直接我々の本音をピンポイントで照射するようだ。

その本音が、今年6月にリリースされた『今は今で誓いは笑みで』以降の楽曲から、より克明に「願望」を描くようになった。《こんなこと 云いたいわけじゃないのに/こんな自分に負けたくないのに/もう どうだってよくなってしまう前に/覚悟を決めたかった》と歌う“こんなこと騒動”。《ずっと解決が 答えじゃないことが/苦しいの わかってるけど》と歌い、《すぐ比べ合う 周りが どうとかじゃ無くて/素直になりたいんだ》と意思表示をする“蹴っ飛ばした毛布”。《泥まみれでも 信じさせてよ/異なる自分を愛していたいの》と切実に歌う“ハゼ馳せる果てるまで”。混沌とした闇のなかから光を求める祈りにも似たその姿こそ、光そのもののようだ。


だが彼女たちの最初の楽曲にあたる“秒針を噛む”も《「私もそうだよ。」って 偽りの気持ち合算して/吐いて 黙って ずっと溜まってく》、《「本当」を知らないまま 進むのさ》、《このまま 奪って 隠して 忘れたい》、《形のない言葉は いらないから》、《救いきれない 嘘はいらないから》など、ずとまよが本音を吐き出しながら願望を求め続けてきていたのは当初から変わらないのだ。最新アルバム『潜潜話』はその表現方法をより多彩にした、現時点での集大成とも言える。

諦めの感情を歌い上げながらも、その感情が捨てきれないもどかしさを感じさせる“Dear. Mr「F」”や“優しくLAST SMILE”は、シンプルなサウンドスケープも相まって闇のなかで自分と同じように迷う人物を見つけられたような気持ちになった。どこか自己嫌悪や厭世観を漂わせながらも願望を捨てられない、闇と光が乱反射する描写は、結論を見出すわけではない。だが「ずっと真夜中でいいのに。」という気持ちを抱えている人間を音楽で作り出すことによって、不安や孤独を抱えるリスナーに小さな光を与えていることは紛れもない事実である。

だがこの「ずっと真夜中でいいのに。」という台詞はACAねのものなのか? それともほかの誰かのものなのだろうか、いまだに掴めない。ずとまよの世界は、まだまだ闇のように謎が深いままだ。(沖さやこ)

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