孤高のシンガー・ソングライター、レナード・コーエンが逝去。ジョン・ケイル、リリー・アレンらが追悼

孤高のシンガー・ソングライター、レナード・コーエンが逝去。ジョン・ケイル、リリー・アレンらが追悼

カナダの孤高のシンガー・ソングライター、レナード・コーエンがアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスで他界した。享年82だった。

これまでソニー・ミュージック・カナダを通じて訃報がフェイスブックで発表されているが、死因などは明らかになっていない。レナードのマネージャーのロバート・コーリーは次のように声明でレナードを偲んでいる。

「その創造性、洞察力、そして痛いほど直截な表現では右に出る者がいなかったレナード・コーエンは真に時代を先取りしていた人物で、その声が聴かれなくなることは切に惜しまれることになるでしょう。レナードを友人と呼べたことはわたしにとって幸運なことでしたし、あの果敢な芸術精神の持ち主に直接仕事で関わっていけたことは恩恵でもあり、とてつもなくありがたいことでもありました。レナードが遺した作品の遺産はこれから何世代にもわたる聴き手に洞察と触発と癒しをもたらすものになるはずです」

また、1991年に名曲“Hallelujah”をカバーしたジョン・ケイルは次のように悼んでいる。

「レナードが亡くなったというとても心穏やかではない報せ。優しい魂が今夜からひとつ減ってしまった。ぼくたちに残してくれた膨大な贈り物に感謝します。jc」

主なアーティストの追悼は以下の通り。

ウィン・バトラー(アーケイド・ファイア)「(こんな訃報を知らされない分)来年はもっとましな1年になるだろう。21歳の時に(モントリオールの)セイント・ローレント通りでレナード・コーエンを見かけただけで、ぼくには故郷があるんだと思えたものだった」

リリー・アレン「今週はひどいことばかり起きる。レナード・コーエン、すべてのものをありがとう。安らかにお眠りください」

ジャスティン・ティンバーレイク「ほかとの比較を超越した精神と魂」

サラ・シルヴァーマン(コメディアン)「R.I.P.(ご冥福を)レナード・コーエン。うー。この訃報は刺さる。なんだか“Come Healing”みたいな曲を思い出させられる感じだし、実際、今の時代にはうってつけ」

マーク・マロン「R.I.P.レナード・コーエン。ちょうどいい時にあの世に行けたね」

キーファー・サザーランド「素晴らしいカナダ人が今日亡くなった。レナード・コーエンのご冥福をお祈りします。ハレルヤ」

ベン・フォールズ「キッズのみなさん。できる時でいいからレナード・コーエンという人の“Going Home”という曲を聴いてみてください。R.I.P.L・コーエン。それとありがとう」

ピーター・フック「R.I.P.レナード・コーエン。神様のご祝福がありますように」

キャロル・キング「R.I.P.レナード・コーエン」

レナードは1934年にカナダのケベック州モントリオール近郊のウェストマウントで生まれ、10代の頃からフォーク・グループを結成する傍ら、詩作にも励む文学少年として育ち、大学院卒業後は職を転々としながら詩や小説の執筆と発表を続けていた。その後、フォーク・アーティストとしての活動を志し、66年にフォーク・ロック・ブームに湧いていたニューヨークへ移り、アンディ・ウォーホールのアトリエだったザ・ファクトリーに出没するようになるが、それを契機にニコのパフォーマンスから大きな影響を受けたといわれている。その後、フォーク・アーティストのジュディ・コリンズの知己を得て、ジュディの66年の『イン・マイ・ライフ』に楽曲“Suzanne”を提供し、ソングライターとして広く知られるようになった。これにより翌67年、レナードはコロムビア・レコードとの契約にも恵まれ、ついにファースト『レナード・コーエンの唄』のリリースにもこぎつけ、大きな注目を集めることになった。

その後、ボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』以降のアルバムを手がけていたプロデューサー、ボブ・ジョンストンと知り合い、傑作となった1969年のセカンド『ひとり、部屋に歌う』や71年のサード『愛と憎しみの歌』でようやく念願のサウンドと世界観を生み出すことになった。70年代に入ってからはジョン・リサウアーやフィル・スペクターらをプロデューサーに迎えてさまざまなアプローチも試みたが、1984年の『哀しみのダンス』ではシンセサイザーやドラム・マシーンの導入などかなり大胆な試みも行われ、当初コロムビアから作品を突き返され、アメリカでのリリースは見送られてカナダのみでのリリースとなった。しかし、皮肉にも収録曲の“Dance Me To The End Of Love(哀しみのダンス)”や“Hallelujah”はその後、レナードの代表曲ともなり、特にジェフ・バックリィもカバーした“Hallelujah”はレナードの楽曲としては最も有名なものとして知られている。

90年代に入ると仏門に入って一線から離れてしまうが、00年代に入ってまた音楽活動に乗り出し、以後、精力的なツアー活動を続けていた。2012年から13年にかけて行われた世界ツアーの後、腰を痛めるなど体調を崩したと伝えられていたが、逆にレコーディングは精力的に続けられ、12年の『オールド・アイディア』、14年の『ポピュラー・プロブレムズ』とコンスタントにリリースは続き、先月末の10月26日にも最新作『ユー・ウォント・イット・ダーカー』がリリースされたばかりだった。

“Hallelujah”のミュージック・ビデオはこちらから。
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