“クライベイビー”、“夏の影”という配信シングル2曲も収められているが、全9曲によって構成されたきのこ帝国のニューアルバム『愛のゆくえ』には、ひとつのテーマのもとに編纂された短編小説やショートムービーのオムニバスに触れているかのような感覚を味わう。共同プロデューサー兼サウンドエンジニアとして、フィッシュマンズ仕事でも知られるzAkを迎えた一枚(オープニングの表題曲のみ、井上うにがプロデュース)だ。
トロピカルで気怠いパーカッションやダブのサウンドエンジニアリングに彩られた“夏の影”もさることながら、メロディラインや佐藤千亜妃の節回し/息遣いそのものにフィッシュマンズからの影響を伺わせる“畦道で”が余りにも素晴らしい。ノスタルジックな情景と甘いサウンドに滲む《I hate you》のリフレイン。その手応えに、往年のきのこ帝国を思い返す人も少なくないだろう。
きのこ帝国の感情表現は、作品を追うごとにカラフルに、表情豊かなものになってきた。悲しみや苦しみに身を浸す時間と同じくらい、楽しさや幸福を謳歌する時間も大切にされてきた。もう少し踏み込んで言えば、悲しみや苦しみと真っ直ぐに向き合ってきたからこそ、楽しさや幸福を噛み締め、音楽に落とし込むことができたのだと思う。普通、楽しさや幸福は音で慰める必要がないからだ。彼女たちはきっとこれからも、その振り幅の中で自由に表現を見せてくれるのだろう。
だから、僕が今回の『愛のゆくえ』で驚かされたのは、感情表現のベクトルについてではない。サイケデリックロックやシューゲイザー、ポストハードコア、そしてダブと、さまざまな音響美のアイデアを肉体化し続けてきたきのこ帝国が、その音楽を2016年の日常に染み込ませるべきポップミュージックとして完璧にコントロールしている事実にこそ、驚かされるのである。
前述したように、音楽は、刺激的な音響美は、世界の歴史の中で無数の悲しみや苦しみのために鳴らされてきた。音楽によって大気が振動するとき、そこには歴史の中の感情の重さが蘇り、立ち込めると言ってもいい。その感情の重さを知っていたから、かつてのきのこ帝国の音楽も、痛ましく、激しかった。
ところが『愛のゆくえ』の凄さは、例えば“LAST DANCE”の軽快かつスタイリッシュなシティポップ然とした曲調の中にも、歴史の中で蓄積されてきた感情の重さが横たわっているということにある。今日の生活の糸口を探るために、きのこ帝国は思いを重ね、アイデアを重ね、表現技術を磨き続けている。だからこんなふうに、途方もなくポップな、エンターテインメントたり得る音楽が生まれ来るのである。(小池宏和)