イギー・ポップ、自選したデヴィッド・ボウイの楽曲をBBCの放送で徹底解説:前半

イギー・ポップ、自選したデヴィッド・ボウイの楽曲をBBCの放送で徹底解説:前半

BBCのインターネット・ラジオ、BBC6で自身の番組「イギー・コンフィデンシャル」を持っているイギー・ポップ。7月29日に『ザ・ソングズ・オブ・デヴィッド・ボウイ』という特集を組んで、26曲デヴィッド・ボウイの楽曲を紹介し、旧知の仲だったデヴィッドや楽曲についての思い出や思い入れを番組司会として語った。

選曲はイギーによるもので「記憶からピックアップしようと思った。だから、紙とペンを用意して、それぞれの時代で気に入ってたものを思い出してみたんだよ。ただ、ものすごく有名な曲とかヒット曲とかは避けてみることにしたんだ。なんせ番組名が『コンフィデンシャル』(極秘事項)だからね」と説明した。それぞれの楽曲について前半13曲のイギーのコメントは次の通り。

“Boys Keep Swinging”
「この曲が(テレビ番組の)『サタデイ・ナイト・ライヴ』で初めて演奏された時のパフォーマンスに居合わせたんだけど、ニューヨークで大渋滞があって、それを迂回してものすごい遠回りしながらかっ飛ばすことになって俺もその一行に同行しててさ、運ちゃんが間違って交差点五つ分くらい通り過ぎちゃったりして、おかしなイタリア映画みたいに手に汗握る展開で楽しかったな」

“Art Decade”
「俺にはこの音は冷戦そのものなんだよね。(レコーディングが行われた)ドイツだけっていうんじゃなくて。フランス、スペイン、イタリアと、いろんな場所を繋げてる音で、あの頃はどの国もどこかファンキィだったんだ。すごくユニークな形で。フランスじゃあの頃はまだバーとかでおしっこしたくなってトイレに行くと、便器が一種類しかなくて、地面に足を置くところがあって、その間の穴に放尿するものだったんだ。別なものを出したい時にもそこでやるんだよ(和式便器と似たもの)。あの頃のヨーロッパはまだ地に足が着いてたんだよね。俺たちも穀物倉庫とかでライブをやってたしね。それとこの曲は、アメリカの支配への自由の表明にもなってたんだね。それがこの曲のバックビートになってて、その思いが込められてるんだよ。この曲のヴァイブがずっと今も好きだし、美しいと思うよ。この曲のメロディは確かチェンバリンっていうね、すごく微調整が難しい、繊細なごく初期のシンセサイザーみたいな楽器を使ってて、それがあの美しい音色を出してるんだよ」

“John, I’m Only Dancing (Sax Version)”
「シングルで初めて聴いた時におやって聴き耳を立てた曲があって、それが“John, I’m Only Dancing”なんだけど、これを聴いて、このアレンジと構成はすごいなって思ったんだよ。実はその直後にこの曲はレコーディングし直されてて、人によっては新しい方を“Sax Version”って呼んでるんだ。とにかく、ものすごいロックンロールな曲なんだよ」

“Black Country Rock”
「今こんな曲出したらロックンロールの救世主になれるよね。新しいザ・ストロークスとかになれるよ。たぶんベースを弾いてるのは(デヴィッドのプロデューサーとして知られる)トニー・ヴィスコンティで本当にとんでもないオールラウンド・ミュージシャンなんだよな。ストリングスのアレンジもできるし、いろんなことができるやつなんだ」

“Station To Station”
「『ステイション・トゥ・ステイション』というアルバムがあってね、同じ名前のツアーもやって、俺はそれに同行したんだよ。それで“Station To Station”はそのライブのオープナーになった曲だったんだ。毎晩この曲で始まって、ライブはもう素晴らしかった。大観衆を相手にする日もあれば、すごく小さい会場の時もあって、かなり成り行き任せで展開もよく読めないものだったんだよね。テーマは白と黒で、ライブの前座には映画の『アンダルシアの犬』(鬼才ルイス・ブニュエルのシュールレアリスム映像詩ともいわれる1928年作品)が上映されてたんだよ。原案はダリとの共同執筆の映画でね。照明は黒幕に蛍光灯の明かりを照らし出すっていうハリウッドの照明テクニックを取り入れてたんだ。そこにバンドが登場して、これがまたすごいバンドなんだよ。バンマスはカルロス・アロマー(デヴィッドの活動に長く関わったギタリスト。1975年の『ヤング・アメリカンズ』で初めてデヴィッドの作品に参加し、最後は03年の『リアリティ』に参加)で、プエルトリコ系アメリカ人の本当に気のいいやつで、なんでもできるオールラウンダーで、若いうちはペンテコステ派教会(ゴスペル音楽などが演奏される)で経験を積んだんだよね。やがて頭角を現して「セサミ・ストリート」の音楽を手がけるようになって、その後ニューヨークのセッション・ミュージシャンへと上り詰めたんだ。バンドの中核となってたのはそのカルロスと今は亡き偉大なデニス・デイヴィス(75年の『ヤング・アメリカンズ』から80年の『スケアリー・モンスターズ』までのデヴィッドの作品に参加)、そしてベースのジョージ・マレー(76年の『ステイション・トゥ・ステイション』から80年の『スケアリー・モンスターズ』までのデヴィッドの作品に参加)で、この連中は当時はジャズ・ミュージシャンなんかともっぱら演奏したりしてたんだよ。このバンドが出てきてね、このイントロを弾き出すわけなんだよ。あのギターのさ。これがもう美しくてね」

“What In The World”
“What In The World”のこのスタイル、このベースとドラムとどかどかどかっていうのは聴きものだよ。ドラムは今は亡きデニス・デイヴィスだね(1975年の『ヤング・アメリカンズ』から80年の『スケアリー・モンスターズ』までのデヴィッドの作品に参加)。バック・コーラス、あれ俺だよ。『あ~あ~』っていうね。あの曲はフランスのデルーヴィレ(シャトー・デルーヴィレ・スタジオ)でレコーディングして、追加のヴォーカルをベルリンのハンザ・スタジオでやって、そこでアルバムを仕上げたんだよね……だったと思うんだけど。俺はオタクじゃないんであんまり正確なところまで記憶してないんだけど」

“Wild Is The Wind”
次の曲は『ステイション・トゥ・ステイション』からの曲で、これはチェロキー・スタジオでレコーディングされたものなんだ。ここは本当に昔ながらの無駄のない造りのロックンロール・スタジオで、ここのオーナーがある人物と知り合いで、そいつがいつも山のように薬物を用意しててね。それで長髪が身体以上に伸びてるような連中が出入りしていたんだよ。いつも妙ちくりんな車とかが止まってて、ちょっと様子が変な女の子とかがたむろしたりしててさ。でも、このチェロキー・スタジオではロック・レコードの名作が数々作られたんだよ。ガンズ・アンド・ローゼズまでね。俺も“Repo Man”(1984年の映画『レポマン』のサントラ曲)をここで録ったんだよ。とにかく、この曲はもともとサントラ曲で(1957年の『野生の息吹き』で使われた)、その後、ニーナ・シモンがこの曲のカバーをやって、デヴィッドのこのヴァージョンはそのニーナ・ヴァージョンへのオマージュになってるように俺には思えるんだ。デヴィッドはニーナについてよく知ってたからね。俺は当時は名前だけしか知らなかった。その後、聴いてみたら、カバーを本当に自分のものにしてしまうすごい人だってわかったんだ」

“Scary Monsters (And Super Creeps)”
「この曲は間違いなく『ステイション・トゥ・ステイション』期の曲なんだよね。ハリウッド大通りとフェアファックス通りの交差点の近くにあった小さな家でデヴィッドがアコースティックで弾いてくれたのを憶えてるからなんだ。それから数年後にちゃんとレコーディングされたことになったわけだけど、その時点では『スケアリー・モンスターズ(怖い怪物たち)/恐怖にまみれてただ走る』っていうところしか出来上がってなくて、まあ、そういう曲って多いんだよね。なかなか出来上がらないんだけど、ここぞっていうところで出来ちゃうみたいなね。すると、今出来た、っていうか、実はずっとあったんだよっていう気分になるんだ」

“The Prettiest Star (Single Version)”
「メロディアスな、単旋律のエコーとトレモロのかかったギターはマーク・ボランによるもので、本当にこの曲のヴァイブとメロディにすごく貢献してるよね。どちらも融通の利かない音楽業界を相手に突破口を開けた人物として知られてるけど、音楽を生業としていた俺にもすごく影響をもたらしたし、マーク・ボランのT・レックスはイギー・アンド・ザ・ストゥージズの『淫力魔人』にもすごく影響してて、ウェンブリー・アリーナにT・レックスのライブをジェイムス・ウィリアムソンと観に行ったんだよ。そうしたら、とんでもなくてさ、マーキー(マーク)が自分の実際の背よりも3倍くらいの高さのある自分の切り抜き写真をステージの背景に設置して、その前で前座のバンドに演奏をやらせてるんだからさ(笑)。まあ3倍っていったのは実は実際のマーキーはすごく背が低いからで、ヨークシャー・テリアとかマルチーズみたいな感じだったんだ。だけど、音楽は圧倒的だったし、人としてもエネルギーがみなぎってる感じのやつだったからね。とにかく、これは美しい曲で歌詞も美しいよね。シングルだったんだけど、アメリカで大ヒットとか、そういうもんにはならなくて、もっと繊細な作品だったんだよ」

“Moss Garden”
「“Moss Garden”でデヴィッド・ボウイはあるムードを形にしたがっていて、その頃ガムランを買いにインドネシアまで行った時に付き合ったことがあって、その一式をヨーロッパに送りつけて後々使うことになったわけなんだけど。その後、ウータン・クランとか、ヒップホップ・グループが台頭して、サンプリングが頻繁に行われるようになると、みんなさ、ヒマラヤとかチベット音楽をいきなりサンプリングするようになって。それがなんとも妙な感じだったな」

“Panic In Detroit”
「“Panic In Detroit”については、俺はデトロイト出身で、この歌詞に出てくる「全米人民ギャング」(歌詞中の架空の過激派団体。デトロイトが反体制運動や暴動で荒れた時代の騒動の比喩となっている)を全部生きてきてるわけだから、この曲がすごく的確なたとえになっているのはよくわかるんだよ。60年代に設立されていったNGOの多くが実は金儲けだけのものだったということのね。で、そういう傾向は今でも世界中に広がってるし、誰もが金を貯めるための政治団体を抱えてる状態で、そういうやつらは全員お仕置きしてやりたいよね」

“Dirty Boys”
「これは最近のアルバム(『ザ・ネクスト・デイ』)の曲で妙に気に入ってる作品で、デヴィッドのサックス演奏がすごくいいんだ。アレンジがいいし、熟練した歌詞がなんともいえないね」

“Moonage Daydream”
『ジギー・スターダスト』にはたくさん面白い曲があるんだけどこの曲を選んだのは歌い出しの『ぼくはアリゲイター』という歌詞が最高にいいのと、『月世界時代の白日夢でフリーク・アウト(ラリりまくる)!』っていうのも最高のフレーズだからだよね。ちなみに『フリーク・アウト』というのはマザーズ・オブ・インヴェンションの傑作のタイトルでもあって、ある時ね、フランク・ザッパ、デヴィッド・ボウイとデヴィッドの友達と一緒に深夜1時にハンバーガーをベルリンで食べたことがあるんだ。なんでそんな時間にっていう感じだろうけど、フランクがどうしてもハンバーガーが食いたいって言い張ってて、俺たちはお客さんだったからそれに従わざるを得なかったっていうか」
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