ブルー・オイスター・カルトやザ・クラッシュのプロデューサー、サンディ・パールマンが他界

ブルー・オイスター・カルトやザ・クラッシュのプロデューサー、サンディ・パールマンが他界

アメリカのハード・ロック・バンド、ブルー・オイスター・カルトやザ・クラッシュのプロデューサーとして知られるサンディ・パールマンが7月26日に他界した。享年72だった。

サンディは昨年12月に脳溢血で倒れ、旧友のロバート・ダンカンが「歩くことも、話すことも、自身の状況を理解することもままならなくなった」とサンディにかかる莫大な医療費のため、資金調達サイトのゴー・ファンド・ミーで支援を呼びかけ、サンディの治療を支えていた。しかし、ここにきて息を引き取ったことをダンカンは次のように自身のフェイスブックで明らかにしている。

「詩人、作家、ソングライター、プロデューサー、マネージャー、大学教授、博学者、先見の人として知られたサンディ・パールマンは7月26日にカリフォルニア州マーリン郡にて、穏やかに、愛に見守られて息を引き取りました。彼の生き様を称える式については後に告知されます」

サンディはニューヨークで生まれ育ち、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校在学中から詩を発表していたが、その後、自身の詩をパフォーマンスへと移し替えるためのロック・バンドを自分の手で編成し、そのプロデューサーとマネージャーを務めることになり、そのバンドがその後、アメリカで絶大な人気を誇るハード・ロック・バンドのブルー・オイスター・カルトとなった。

その後、さらにロック・ジャーナリストとしても活躍する傍ら、ブルー・オイスター・カルトのほか、ブラック・サバス、ザ・ディクテイターズらのマネージャーも手がけ、1978年のザ・クラッシュのセカンド『動乱(獣を野に放て)』制作の際にはバンドにより明解なサウンドをもたらすようにとプロデューサーとしての白羽の矢が立った。自身でも415レコードというレーベルを運営し、さらに90年代には史上初めてmp3音源を扱ったオンライン音楽サービスのイー・ミュージックを立ち上げたことでも知られている。

また、大学で教鞭を取ったり、講演活動なども旺盛に行ってきていた。ロラパルーザやリリス・フェアなどのツアー形式のフェスティヴァルの運営方法を編み出した人物としても知られていた。
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