ピーター・バック、R.E.M.の解散の経緯を語る

ピーター・バック、R.E.M.の解散の経緯を語る

元R.E.M.のピーター・バックがR.E.M.の解散について語っている。

ピーターは2011年のR.E.M.解散以来、ソロ活動のほか、おびただしいコラボレーションやトドス・サントス・ミュージック・フェスティヴァルの運営などに携わり、精力的に活動しているが、ここにきてローリング・ストーン誌の取材に解散の経緯を語っている。

マイケル・スタイプとマイク・ミルズと解散に向けての話し合いを続けていくなかで、気持ちの整理をつけていくためにピーターは音楽業界の嫌いなものという長いリストを書き出していったという。その結果、「作曲や曲を演奏したりレコーディングしたりすること以外はすべて」が嫌になったと明かしていて、「お金、政治、24時間じゅう人と会ってなきゃならないこと、自分についての決断を自分だけではできなくなっていたこと」が嫌だったと語っている。

さらに音楽編集ソフトのPro Toolsが発明されると、これもまたおもしろくなかったと明かしていて、なかには自分でもこれをアルバムと呼んでいいのかどうかわからない作品があって、「自分たちで繋ぎ合わせたサウンドにしか思えなかった」とも振り返っている。

最終的に「ビジネス面が嫌いなんだ。もう一切関わり合いたくなかった」と語ったが、具体的に解散を話し合ったプロセスを次のように振り返っている。

「ノルウェーのベルゲンにいた時(2008年)だったんだ。ぼくはベルゲンがすごく好きなんだよ。それで街を見たかったんだ。自由時間が4時間あったんだけど、結局、3時間をバンドのミーティングに取られて、それが本当に腹立たしかったんだ。ツアーにまた公演を追加するかどうかを決めなくちゃならなかったんだ。ものすごい大金をオファーされたんだけど、ぼくはもう行きたくなかった。どこの話だったかはいわないよ。でも、ぼくはみんなに向かって『もし、これが最後のツアーになるんだったら、最後の2回の公演が半分しか入ってなくて、結局ギャラが足りずにライヴもできないっていう状態でおしまいにはしたくないんだ』っていったんだ。それでみんなで『じゃあ、やめようか』という話になったんだね。

ツアーの最後はメキシコシティーになってね。ここではぼくたちはビートルズ並みの人気があって、最高に楽しかったんだ。それで『なんか寂しくなるな』ってぼくがいって、マイケルが『そうだね、ちょっとそんな感じだね。もうこの曲たちを演奏することは二度とないってこともあるかもしれないんだから』って応えたんだ。それを聞いてぼくは『確かにそういうこともあるかもしれないな』っていったんだよ。

でも、それから最後のアルバムとなった『コラプス・イントゥ・ナウ』に取りかかったんだよね。別に発表もなにもしてなくて、ミーティングをした時にマイケルから『みんなにはきっとわかってもらえると思うんだけど、かなり長い間、ぼくはバンドから離れる必要があるんだ』っていう話があって、それでぼくが『じゃあ、永遠にってことにしちゃったら?』って話したら、マイケルがマイクの顔を見て、マイクは『それでいいんじゃないの』っていったんだよ。そうやって決めたんだよ」

また、ピーターは「すごくいい最後の作品を作れたと思った」とも語っていて、特に最後の2作は自身でも誇りに思っていて『アクセラレイト』は自分の中でもトップ5に入るアルバムになったと自負しているという。

さらに1980年にある理想を追い求めながら、それを失わないまま11年に解散することになったことをとても誇らしく思っているとも説明しているが、実はその理想のようなものは80年代にアメリカでカレッジ・シーンが大きく盛り上がった時にすでに実現できたという手応えもあったと振り返っている。しかし、人々は自分たちの最高傑作を挙げるとなると92年の『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』を挙げることが多く、実は自分たちがムーヴメントやカルチャーの現象としてはピークを過ぎてしまっていたにもかかわらず、この作品がそう記憶されているのがとても嬉しいとも説明している。

また、実際には解散などしていないとも明らかにしていて、「ひとつの方便としてバンドは解散したんだ。でも、ぼくたち自身が本当に解散したわけじゃないんだよ。ただ、もうレコーディングやツアーはやらなくなったということなんだ。ぼくたちは自分たちの楽曲の版権管理会社も自分たち全員で運営している。全員でワーナーでの音源マスターも所有している。ぼくたちはビルのオーナーでもあるんだ。テープとか自分でも見たこともないようなものを全部保管している倉庫ビルを全員で所有してるんだ。倉庫なんてわざわざ借りる必要ないし」と説明し、特に楽曲の版権管理についてはしょっちゅう話し合わなければならないものなのだとも明かしている。

また、現在の音楽業界への違和感を次のように語っている。

「80年代半ば頃にレコード会社でやりかたを編み出したんだよ。つまり、音楽ビジネスを豆や穀物をどう売るかっていうのと同じ方法で運営する方法をね。いったんそうなったら、すべてが約束事づくしになったんだ。だけど、人々はもっと音楽に関心を向けるようになったんだよ。今じゃみんなやり方を知ってるんだ。ロック・バンドを組んで、なんかレコーディングして、音源をネットで公開して、YouTube用になんか動画を制作してっていうね。それが悪いっていいたいんじゃないよ。でも、昔はもっと西部開拓時代みたいだったんだよ。それが今じゃハリウッドみたいなんだね」
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