デヴィッド・ボウイ作品の常連ギタリスト、カルロス・アロマーがボウイとの出会い、そしてベルリン三部作の制作現場を語る

デヴィッド・ボウイ作品の常連ギタリスト、カルロス・アロマーがボウイとの出会い、そしてベルリン三部作の制作現場を語る

デヴィッド・ボウイの長年のコラボレーターの一人として知られるカルロス・アロマーが、デヴィッドとの出会いや彼のアーティスト性について語っている。

デヴィッドとは1975年の『ヤング・アメリカンズ』からの付き合いで、00年代まで彼のアルバムの常連ギタリストだったカルロスは、ローリング・ストーン誌のインタヴューで次のようにデヴィッドを偲んでいる。

「ぼくのデヴィッド・ボウイの第一印象はちょっと変なやつだなあというものだったね。スパイダーズ・フロム・マーズ時代でロンドンから来たばっかりだったから、髪の毛もまだオレンジでものすごく色白で体重98ポンド(約45キロ)くらいで。初めて会ったのは、デヴィッドがルルのために書いた"キャン・ユー・ヒア・ミー"のレコーディングに参加した時で、ぼくは雇われミュージシャンでデヴィッドはプロデューサーだから、プロデューサーとあれば、一目置かざるを得ないわけだよ。

でも、そのうちデヴィッドの人となりがわかってきたんだ。なんかいつも妙な、変なアメリカ風だけど時代遅れのフレーズを使うんだよ。『ヘイ、マーン!』とか『そいつはすごいクールだね』とかそんな感じで。でも、馴染もうとしてたわけだから、一緒につるむようになったんだ。それでぼくの方から『ほんとにクールなもん観たい? だったら、深夜営業のクラブにでも行こうぜ。スパニッシュ・ハーレム辺りで。サルサ・バンドとか観てみようよ。アポロ・シアターにも行ってみようか』って誘ったんだ。それが出会いだったんだよね。『ヤング・アメリカンズ』を作り始めるずっと前のことだよ。

デヴィッドはすごくうちとけやすい人物だったよ。すごく楽しんでたからね。デヴィッドとぼくにはある大きな、人間的な共通点があったんだ。ぼくたちはめちゃくちゃ好奇心が強かったんだよ。ぼくはデヴィッドのやってるザ・スパイダーズ・フロム・マーズについてのすべてが知りたかった。デヴィッドはジェイムス・ブラウンと仕事をするのがどういうことなのか知りたがってた。ぼくはあのオレンジ色の髪の毛やグラム・ロックのなんたるかがすべて知りたかった。デヴィッドはチトリン・サーキット(黒人やR&Bアーティストのライヴ・サーキット)とはなんなのか知りたがってた。デヴィッドはジャズが好きで聴いてて、ぼくはジャズを演奏してた。だから好みや関心がぴったり合ったんだよ。

そのうち、デヴィッドの方から『きみはどんなギターを弾くの?』って訊いてきてぼくは『仕事ならなんでも弾くよ』って答えて。そうやって関係を始めたわけだから、ものすごくプロフェッショナルな関係だったというのはわかるよね。この世界では必ずそういうもんなんだけど、必要されているものがあって、必要とされることを必要としている担い手がいて、この両者がぴったし合うと、素晴らしい音楽が生み出されるものなんだよ」

「デヴィッドと仕事をして、特にベルリン三部作(『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』)に関わったことで今のぼくがあると思うんだ。特にエレクトロニック・ミュージックとの取り組み方のおかげでね。あの頃、『自分がアーティストだといえるのであれば、なにもレコード会社のためではなく、自分のファンのためにアルバムを制作してもいいはずだ』と言い切ってしまうことは、ものすごく重要なことだったんだ。そこで気づいたのはアルバムの片面はロックンロールにして、B面は風景とか、音像とかにしてもいいんだということだったんだよ。デヴィッド・ボウイが音楽に見出していた情感のこだわりというのは、そこに注ぎこまれてたんだよ。デヴィッドは自分の感情のありようを水先案内人にしたんだよ。(スタジオでも)いつも照明をすべて消して暗闇の中で音源を聴き直したがってて、そうやって気持ち的にこの旅路にすぐに没入したがってたんだね。デヴィッドの要求に対してブライアン・イーノが用意しなければならなかった機材の組み方や使い方のせいで、最初はぼくは抵抗したんだけど、やがて機材云々の話じゃないんだとぼくも気がついたんだ。鳴らされている音楽に注ぎこまれている情感やこだわりが問題となっていて、歌詞もなにもなくなって、ただもう不思議な旅となっていたんだよ。なんかSFのサントラみたいだったね」
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