ノエル・ギャラガー、オアシスの解散と再結成について語る

ノエル・ギャラガー、オアシスの解散と再結成について語る

12月2日にマンチェスターのO2アポロでライヴを予定しているノエル・ギャラガーだが、オアシスの解散について振り返っている。

エスクァイア誌の取材に応えたノエルは2008年から乗り出したオアシスの最後の世界ツアーの3週間前にもリアムと殴り合いをしていたことを明かしていて、普段だったらこうした喧嘩はすぐに忘れるようなことだったのだが、この時はもう我慢がならなくなっていたと説明し、さらに次のようにこのツアーのことを振り返っている。

「まだなにか達成するべきことが残ってたって感じてたら、オアシスはやめてなかったと思うよ。(解散を決意した2009年8月の)あの夜、パリで車の中で俺はすぐに決めたんだよ、もうやり尽くしたなって。やってることはすべて繰り返しになってたし、ツアーをもっとデカくしてお金をもっと稼いでっていうだけのことでまた新しいドラマーを雇って、あの時点でもうドラマーなんて11人目くらいになってたんだよ。世界中の有名な会場をそれまでにすべて完売にしてたんだからね。ハリウッド・ボウル、マディソン・スクエア・ガーデン、ウェンブリー・ファッキン・スタジアム、シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム、ハムデン・パーク、どこを挙げてもらっても、俺たちは全部やってたんだ」

「この頃には俺はバンドの他のメンバーとは別々に飛行機で移動するようになってて、正直いって、おかげでものすごく快適だったよ。おまけに当時のリアムはマネージャーの履いてる靴が気に入らないといってクビにしたりしてたからね。そうしたら、なんだかてめえの洋服ブランドを立ち上げて、ライヴでも曲をそのブランドに捧げたりし始めて、俺も『マジで、俺たちってこんなくだらねえものに成り果てちゃったのかよ?』って感じだったんだ。しかも、ライヴでパーカのモデルまで自分でやってて、ライヴ後にサイトで買えるって仕組みになってるんだ。俺は『もうちょっと無理だな』って感じだったんだよ。そういうことがいろいろあって、ライヴがあと2本残ってて、もしあのツアーを最後までやり通して、半年休みをもらってたらもうそのまますっかり忘れて、またやってたかもしれないとも思うんだよ。でも、ダメ押しになったのがあのパリの夜のことで、喧嘩になったんだ。これについてはもう隠された事実なんてなにもなくて、ほんとにくだらないことで喧嘩になって、要はリアムがむかっ腹立ててたってことなんだね。あいつはVフェスティヴァルでの出番をキャンセルにして、そのことでプレスから俺たちはくそみそいわれてたんだ。でもって、リアムは今日に至ってもなお、俺がロンドン在住のジャーナリスト全員をよく知ってると思い込んでて、全員が俺のマブダチで毎週日曜には俺んちにランチに招待されてるもんだって信じ込んでるんだ。(取材記者に向かって)きみがうちに来てないことさえありえないことなんだから! うちの奥さんがみんなにふるまうカナッペとかめちゃくちゃ旨いしな。そうやってリアムは俺が全員を操ってるって思い込んでて、俺が全部悪いってことになってるんだよ。それがどんどんエスカレートしていって、爆発しちゃったんだね。それで終わったんだ。(パリのライヴを直前に中止にして)車の中で俺はこう考えたんだよ、『もう決めた、もうたくさんだわ。もうどうだっていいし、俺はやめてやるよ』ってね」

「もしオアシスが再結成したとしても、オアシスが現役当時を越えることはありえないんだよ。たとえば、ウェンブリー・スタジアムを3日間完売したとしてもなんの達成にもならないわけで、なぜかって俺たちはすでに7日間やったことがあるからなんだよ。ザ・ストーン・ローゼズだってそれだけのライヴをやったことはなかったんだから。ローゼズは再結成した後初めて、連中にとっては最大の盛り上がりをみせたんだよ。だから、あの再結成は正当化されるんだよ」

「これから10年経って、ある日目が覚めたら急に、『あのさ、なんか急に再結成やる気になったぜ!』って俺が思うこともあるかもしれないんだ。けどね、絶対に保証するけど、そうなったら、リアムが『俺はやる気しねえな』っていうに決まってるんだ。なぜって、そういうふうになってるからなんだよ。とりあえず俺は向こう5年くらいまではやりたいことを決めてあるから、これから5年の間は絶対にないよ。将来、どんな状況になるかなんてことは誰にもわからないことだよね。でも、地平線の彼方にさえ、俺にはその可能性は見えてないから。地平線の向こうにさえそれはないよ」
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする