キース・リチャーズ、ボビー・キーズの思い出を語る

キース・リチャーズ、ボビー・キーズの思い出を語る

ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズは12月2日に他界したボビー・キーズについての思い出を語っている。

ローリング・ストーン誌の取材に応えたキースは黎明期からロックンロールに関わっていたボビーを次のように偲んでいる。

「ボビーはロックンロール・サックス奏者という存在を象徴するような人物だったね。ボビーがよく話してたのは、自分の実家の通りを行った家のガレージではバディ・ホリーが練習してたっていう話でね。それがきっかけで音楽の世界に入ったっていうんだよ。ロックンロールの黎明期のような話だし、そもそもの始まりからボビーはこの世界に関わってたんだよ。15歳になった頃にはもうツアーに出てたっていうからね。ボビー自身が一つの歴史だったし、ロックンロールの歴史についての知識も深かったよ」

そんなボビーをストーンズが演奏に加えるようになったのは1969年の『レット・イット・ブリード』でサウンドに厚みを出す試みをしている時だったが、これは60年代のオーティス・レディングやウィルソン・ピケットのホーン・セクションを意識してのもので、当時デラニー・アンド・ボニーに加わっていたボビーに声をかけることになったという。

「ボビーの俺たちとの最初の曲になった"リヴ・ウィズ・ミー"では、俺はもう真っ先にリトル・リチャードやファッツ・ドミノと演奏していたプラス・ジョンソンやリー・アレンなどの偉大なサックス・プレーヤーを連想したよ。ボビーの吹き方にはああいう南部特有のノリがあるんだよね。ま、あんまり驚くようなことじゃないよね、ボビーはテキサス出身なんだから(笑)。テキサス出身だってことを絶対に忘れさせないような人柄だったからなあ」

また、キースはボビーについて「ストーンズというギター・バンドにいたわけだから、自分の音をそこに馴染ませるという意味では驚異的な才能を持っていた」と語っていて、1972年の『メインストリートのならず者』収録の"ハッピー"などはキースのギター、ボビーのサックス、そしてプロデューサーのジミー・ミラーのドラムだけでトラックを仕上げてしまったとキースは明かしている。

さらに1971年作『スティッキー・フィンガーズ』の名演として知られる"キャント・ユー・ヒアー・ミー・ノッキング"についてはもともと前半だけで終わる予定の曲だったのが、なんとなく後半の全員の演奏が盛り上がり、そこにボビーが素晴らしいサックスを加えたことで、そのまま後半も収録することになったのだという。さらに、ボビーの代表曲ともいえる"ブラウン・シュガー"についてキースは次のように振り返っている。

「トラックの途中で間奏部分ができちゃってて、そこをギター・ソロにすればいいのかよくわからなかったんだよ。そこでボブが『試しにさ、俺にひとくさり吹かせてみてよ』って言い出して、やってみたら完璧なロックンロール・ソロとなったことが誰の耳にも明らかだったからね。聴いた瞬間にそれは全員わかったから」

また、キースとともに放埓の限りを尽くしたことでもよく知られるボビーは1973年のヨーロッパ・ツアー中にツアーから脱落してしまうが、キースはその時のことを次のように振り返っている。

「『おい、ボビー、飛行機に乗るんだから行くぞ』って声をかけたんだよ。するとあいつこう言ったんだよね、『キース、俺はもうどうでもいいから。俺はここに残るよ』ってね。シャンパンを一杯に満たしたバスタブにフランス人の風俗嬢と浸かっちゃっててさ。それで俺は『ボブ、おまえを戻したくてもそれは大変かもしれないぜ』って言ったんだよ」

ボビーは9月30日のフランクフルト公演を最後にツアーから離脱し、それ以降の70年代のストーンズのツアーには声がかかることがなくなってしまう。なお、ボビーは自身の伝記で当時は薬物とアルコールの依存症で死にかねない状態だったので意図的にツアーから離脱したと語っている。その後、1981年のアメリカ・ツアーからボビーは復帰を果たすがその時の経緯をキースは次のように説明している。

「それから何年も経ってストーンズがツアーのリハーサルを始めることになったんだ。これは1980年代に入ってからのことで、俺からボビーに飛行機券を送りつけたんだ。『すぐにこっちに来いよ。俺たちが"ブラウン・シュガー"のリハーサルを始めたら、知らないうちに演奏に入り込んでソロを吹けよ』ってね。ボビーがソロを吹いた時に、俺はミック(・ジャガー)の方を向いて、『ミック、わかっただろ?』って表情をしたんだ。するとミックは俺の顔を見て『これは反論のしようがないなあ』って言ったんだよ。出だしの音符数個分だけで、疑いようがなかったから。そこでミックも折れて『わかった、ボビーはバンドに戻そう』って言ったんだよね」

さらにキースは次のようにボビーを偲んでいる。

「ボビーは一緒にいるともう笑いの絶えないやつだったよね。滅多に落ち込む姿なんか見たことなかったし、実際にそんなことがあったとしたら、たいていは若いおねえちゃんに振られたとかそんなことだったよね。それでもすぐに乗り越えちゃうんだからさ。だから、きっと本人も俺たちにあんまりしょげてもらいたくないはずだよ。とどのつまりはさ、俺は今回のことはボビーの死を記念するようなことじゃなくて、ボビーの生き様を祝うようなことだと思うんだよね。きっと通夜だって盛大に騒いでほしいはずだよ」

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