戦後のR&Bやソウルの歴史を生き様として体現するボビー・ウーマックが他界

戦後のR&Bやソウルの歴史を生き様として体現するボビー・ウーマックが他界

現代R&Bやソウルを代表するボビー・ウーマックが6月27日に他界した。享年70だった。ボビーの最新作である2012年の『ザ・ブレイベスト・マン・イン・ザ・ユニバース』をリリースしたXLレコーディングでもボビーの死を確認しているが、死因についてはまだわかっていないとしているとローリング・ストーン誌が伝えている。

音楽一家に生まれたボビーは10歳の頃から兄弟で結成したバンド、カーティス・ウーマック・アンド・ザ・ウーマック・ブラザーズとして活動を始めたが、1960年にはR&Bの立役者ともいえるサム・クックに発掘され、サムのSARレコードと契約。当初はゴスペル・レコーディングを制作していたが、その後ザ・ヴァレンティノズという別ユニット名を使って、信心とは離れた恋愛などを扱った内容の楽曲を発表するようになった。1964年には"イッツ・オール・オーヴァー・ナウ"がヒットとなったが、これをザ・ローリング・ストーンズがカヴァーし、イギリスでチャート1位になる大ヒットとなった。

同じ1964年12年に恩人サム・クックが銃撃事件に巻き込まれて他界すると、翌年5月にボビーはサムの未亡人だったバーバラ・キャンベルと結婚し、大きなスキャンダルとなった。SARレーベルも閉鎖になり、その後、ボビーはザ・ヴァレンティノズからも脱退し、セッション・ミュージシャンとしての活動に専念することになる。

この間、ボビーはアレサ・フランクリンの『レディ・ソウル』のレコーディングなどに参加し、ウィルソン・ピケットらからソングライターとしても気に入られることで音楽業界での定評を確かなものにしていった。また、この時期、ジャズ・ギタリストのガボール・ザボとのコラボレーションにも携わり、ガボールのためにボビーが書いた"ブリージン"はその10年近く後、ジョージ・ベンソンによってカヴァーされ、ジョージの代名詞ともいえるほどのフュージョン系大ヒット曲となった。そのほかにもボビーはスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの『暴動』やジャニス・ジョプリンの『パール』などにも参加した。

ソロとしては1968年の『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』でデビューを果たし、71年にはブレイクスルー作品となった『コミュニケーション』を発表。さらに翌年には『アンダースタンディング』やブラック・ムービーの傑作の一つともいわれる映画『110番街交差点』の主題歌"110番街交差点"などをリリースし、また、ザ・ヴァレンティノズのヒット曲"ルッキン・フォー・ア・ラヴ"のリメイクを収録した74年の『ルッキン・フォー・ア・ラヴ・アゲイン』のヒットで、時代を象徴するソウル・アーティストとして広く知られるようになった。

その後、薬物依存症などの影響で活動のペースを落とし、また、さまざまな健康障害に悩まされていることも伝えられ、糖尿病、前立腺がん、心臓機能障害、大腸がん、肺炎などとの闘病がこれまで報じられてきていた。ただ、2012年にはがんを完治したこともボビーは明らかにしていた。

2009年にボビーはロックンロール名誉の殿堂入りも果たしていたが、この際、スピーチでサム・クックとこの喜びを分かち合いたいと述べ、バラク・オバマが最初の黒人の大統領になったのを目撃するのと同じくらいに嬉しいと語っていた。また、「自分にとって重要なものを待ち続けることさえできれば、人生はおのずと変わっていく」とも心境を説明していた。

なお、ボビーはその後も作品制作を続けていて『The Best Is Yet to Come』という新作をXLからリリースすべく準備していたという。アルバムにはスティーヴィー・ワンダー、ロッド・スチュワート、スヌープ・ドッグらが参加していると伝えられていた。
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