ナッシュビルの歴史を誇るRCAビルAスタジオ売却へ

ナッシュビルの歴史を誇るRCAビルAスタジオ売却へ

カントリー・ミュージック史で最も歴史と業績を誇るスタジオのひとつ、RCAのAスタジオビルが、宅地専門の開発会社に売却される見込みとなった。

長年ナッシュヴィルに住む人間でもRCAビルは見過ごしがちだ。ミュージック・ロウの隅に隠れるように立つこの建物は目立った特徴もなく、煉瓦と石と地味な色調という取り合わせは世界的なレコーディングスタジオよりオフィスビル向きにも思える。だが半世紀以上もの間、このRCAスタジオは何百人というミュージシャンを惹き付け、迎え入れてきた。それは外側の見た目ではなく、内側の音の故だった。

では、そのRCAビルではどんな音が鳴らされてきたのか。ラジオのダイヤルチューナーを数時間動かせば、このビルにある2つのスタジオでレコーディングされた曲が数えきれないほど流れだしてくるはずだ。Aスタジオは1964年、エルヴィス・プレスリーのゴスペル・アルバム用にストリングス・パートのレコーディング場所を探していたチェット・アトキンスによって作られ、それ以来カントリー、ポップどちらのミュージシャンにとっても目指すべきスタジオとなった。ドリー・パートン、ロニー・ミルサップ、トニー・ベネット、ビーチ・ボーイズといった大御所ばかりでなく、ケイシー・マスグレイヴス、ハンター・ヘイズなどの新顔もこのスタジオに惹かれた。その巨大な空間は彼らの楽曲を充分に息づかせるスペースを与えてくれる。12年前このスタジオの賃貸権を引き継いだベン・フォールズは、ここにナッシュヴィル交響楽団全員を詰め込んだことすらあったという。

一方のBスタジオは、伝統的なカントリー・ミュージックや初期ロックンロールの物語を紡ぎだしてきた場所だ。築57年のこの狭い場所で、エヴァリー・ブラザーズは“キャシーズ・クラウン”や“夢を見るだけ”をレコーディングした。プレスリーがトラックダウンした歌は250曲を超える。ドリー・パートンはBスタジオで“ジョリーン”のヴォーカルを録り、そこから隣に歩いていってAスタジオでミキシングを行った。Bスタジオは1977年に閉鎖され、その後観光客の集まる人気スポットとして新たに公開されたが、Aスタジオは半世紀間現役のスタジオとして存続していた。

しかし今回の売却話が実現すれば、Aスタジオはアパートメントに改装される可能性がある。Bスタジオは1992年にカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイムに寄贈されているので、手を加えられる恐れがない。

「先週、チェット・アトキンス(1924年6月20日生まれ)が生きていれば90歳を迎えるまさにその日、ミュージック・ロウにある歴史的なRCAビルが売却されそうだとのニュースが飛び込んで来た」ベン・フォールズは、6月24日ナッシュヴィル市に提出した公開書状のなかで書いている。

フォールズは長く熱のこもった文章で、急速な開発によってナッシュヴィルの歴史的建造物が失われてはならないと訴えた。経済が好調なうちは都市の歴史や特徴を犠牲にした成長も容認されてしまうが、それをあとから悔やんでも遅い。

さらにAスタジオ売却は、今回このビルの購入を見込んでいるブラボー・ディベロプメントのような会社にとっても、長期的にはマイナスの意味を持つかもしれない。

「結局のところ、中心を成すアイデアや創造性に欠け、コミュニティとして何のまとまりもないエリアに、誰が新しいコンドミニアムを建てる気になるだろう」とフォールズはいう。

RCAビルがナッシュヴィルという町にとって、またこのスタジオから生まれた楽曲が形作ったジャンルにとってどれほど大きな意味を持つか、それを穏やかに、冷静な調子で説いたあと、最後にフォールズはブラボー社のティム・レイノルズ社長に対し、ビルを叩き壊す鉄球を振りおろす前に今一度Aスタジオを訪れてほしいと呼びかけている。

「RCAビルAスタジオの広大な空間のなかで、ほんのわずかな時間、静かに立ってみてほしい。世界を変えたナッシュヴィルの余韻とその歴史を感じ取ってほしい」
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