カウントダウン番組の父、ケイシー・ケイサムをラジオ業界の人々が振り返る

カウントダウン番組の父、ケイシー・ケイサムをラジオ業界の人々が振り返る

6月15日に他界したアメリカを代表するラジオDJのケイシー・ケイサムに対して、さまざまな業界関係者が追悼の意を表している。

ケイシーはアメリカのシングル・チャートをカウントダウン方式で紹介する番組『アメリカン・トップ40』の司会者として特に有名で、1970年から引退した09年までラジオを中心とするチャート番組で活躍したことで知られている。ケイシーの娘ケリーは昨年、ケイシーがレビー小体型認知症と呼ばれる、パーキンソン病のような運動能力の衰退を伴う認知症を患っていることを明らかにしていた。ケイシーは07年にパーキンソン病にかかっていると診断されていた。

アメリカの放送局最大手のクリアー・チャンネル・コミュニケーションズのガイ・ザポレオンは次のようにケイシーについてビルボード誌に振り返っている。

「ケイシーはなんかしらの形で音楽業界に携わっている人たち全員に影響を与えているんだ。世界中の数百万の人たちがヒット・ミュージックが生まれていく過程やポップ・カルチャーに魅了され、そのスクープを内側から知りたくてケイシーのアメリカン・トップ40を聴いていたんだからね。ぼくが初めてケイシーにお会いした時は、まだトップ40について訊きたいことを山ほど抱えている大学生でね。ラジオに携わる多くの人はもともと若い頃にケイシーのカウントダウン番組を聴きながらこの仕事への情熱をたきつけられた人たちで、音楽の裏にある科学と曲がヒットしていく過程が大好きな人たちにとって、カウントダウンというのは最大のインスピレーションになっていたんだよ」

また、アメリカの衛星ラジオ局シリウスXMラジオの番組編成局長のルー・サイモンは次のように語っている。

「ケイシーというのはぼくたちのほとんどにとって、初めて耳にした全国ネット規模のDJだったんだよ。すごい憧れの人物で、押しの強いディスクジョッキー全盛の時代に、滑らかで巧みな話術が魅力となっていたんだ。それにチャートの番人だったし。ぼくも毎週聴いていたし、その頃はビルボード誌のチャートなんか自分の手に取って読める手立てがなかったから、ケイシーこそがキングだったんだ」

また、クリアー・チャンネルの全国番組編成局長のトム・ポールマンも次のように語っている。

「ぼくのラジオのキャリアは、実家の地下室でケイシー・ケイサムの真似をして家族にカウントダウンを披露することから始まってるんだよ。どうしてもケイシーのようになりたかったんだよね。ケイシーはカウントダウン番組の父なんだよ。CMスロットの間、視聴者を焦らすという意味での名手だったんだ。ぼくたちは本当にたくさんのことをケイシーから学んだよ。ケイシーのなしには今のラジオもなかったはずだから」

また、業界紙のレディオ・アンド・ミュージック・プロズの代表で、ビルボード・トップ100に入ったシングルはすべて所有しているというスティーヴ・レスニックはケイシーがどこまでも人を大切にする人物だったことを振り返っている。スティーヴの妻メアリーは、テレビ出演時にケイシーを担当するメイクアップ・アーティストで、一度インタヴュー取材のため自宅に呼びつけられたことがあり、スティーヴもあのケイシーの自宅ということで自身の仕事を休んで見物がてらメアリーに同行したのだという。ところが取材が中止になってしまい、ケイシーからメアリーへの連絡も行き違いになってしまって、ケイシーの自宅に赴いてみるとすでに留守だったという。使用人に用件を伝えて帰るとその後、ケイシーからは平謝りの連絡があり、メアリーのギャラもしっかり小切手でフェデックスで送られてきたことをスティーヴは振り返っている。しかし、本当に驚いたのはその翌年、メアリーが4週間も入院する交通事故に遭った時で、ほかの親類縁者がまだ誰も来ていない入院翌日に、ケイシーが昼食を一式抱えて病院に見舞いに現れたことだったとか。
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