筋肉少女帯/JUN SKY WALKER(S) @ TSUTAYA O-EAST

タイトルが『25年目のバンドブーム!』であり、JUN SKY WALKER(S)と筋肉少女帯が揃い踏み。もう、これだけで、気にならざるを得ない世代がいるだろう。陰と陽のように見える両者だが、実は25年前に同じレコード会社からメジャーデビューした、正真正銘の同級生。バンドブームの波に翻弄されながら、それぞれの道を歩み、90年代後半に解散(筋少の場合は凍結)するも、2000年代に入って復活を果たし、そして今、再び同じステージに立つこととなった――まさか、いろんな意味で、こんな日が来るとは思わなかった。この貴重な瞬間を目撃しようと、O-EASTには、たくさんのオーディエンスが詰めかけた。開演前のBGMまで、見事にバンドブームと直結した選曲。早くも、ときめかずにはいられない。

先攻はジュンスカ。客電が落ちると、まずは楽器陣が登場。森純太がセンターで大きく手を広げ、聞き覚えのあるイントロを弾き出す。そこにすうっと宮田和弥が現れ、歌い出したのは“すてきな夜空”! 和弥の歌声が変わらないからこそ、ジュンスカはジュンスカで在り続けられるんだなあ。そして、すぐさま縦ノリとシンガロングで盛り上がるフロア。私自身はバンドブームの頃は小学生で、その熱気は雑誌やテレビでしか知らなかったけれど、続く“いつもここにいるよ”でユサユサと揺れるフロア前方を見ていると、これは当時のライヴハウスと変わらない盛り上がりであろうと思わされた。さらには“JACK & BETTY”と、思わず歌ってしまうナンバーばかりが畳み掛けられていく。

「今日は『25年目のバンドブーム!』へようこそ。これを企画してくれた大槻ケンヂにサンキュー!」という和弥の言葉から、サポートメンバーであるキーボードの磯貝サイモンが加わり、“BAD MORNING”へ。さらに和弥の「みんな、手を見せてくれ!」という言葉で、特攻服やロリータの如何にも筋少目当てな人までも手を挙げた“メロディー”に続けていく。圧倒的な陽の力だ。かと思えば、バラードの名曲である“風見鶏”も披露! 絶妙なセットリストに、歓喜が止まらない。また、メンバー紹介の前にギターを抱えた時に、ギターと言おうとして「ギギャー」と噛んでしまった時に「可愛い!」と歓声が飛んだり、“ロックンロール☆ミュージック”で最前列の女の子にマイクを向けて歌わせたり、本当に一貫している和弥のキャラクターなど、このライヴは見所が多過ぎる!

しかし、何よりも響いたのは、和弥の「25年やってきて、やっぱ楽しくやんなきゃと思って。昔は『ウォリャー!』みたいな(笑)、戦いだった」という言葉と、再結成第一弾シングルだった“青春”だろう。《「青春なんて 吐き気がするぜ」あの頃ずっと そう思ってた/なのに僕もおまえも あふれる涙が 止まらない》――長いこと忌み嫌われてきた『バンドブーム』という言葉。それを掲げたライヴのステージで、4人はどんな思いでこの曲を演奏したんだろう。私には、とても誇り高く聴こえてきた。そして、和弥がステージを縦横無尽に動き回った“全部このままで”、さらに純太のカウントと和弥の高いジャンプという完璧なスタートから一体感を生んだ“MY GENERATION”と、美しい流れでライヴを締め括った。

セッティング中に再びバンドブームなBGMが続く中、暫くして薄っすらと“ボヨヨンロック”(大槻ケンヂと内田雄一郎によるまんが道の名曲ですね)が流れ出す。おっ!?と思っていると、三柴“エディ”理が現れ、“黎明”を華麗に弾き始める。そのうちに他のメンバーがステージに揃い、早くも橘高文彦がピックを投げ、大槻が人差指を突き上げ、はじまったのは“モーレツア太郎”! さらには畳み掛けるように“釈迦”!! よく老いをネタにしている人たちとは思えないくらい、パワフルな勢い……実は鍛えたりしているんじゃないだろうか!? オーディエンスも負けじと♪ドロロのノウズイ~!の大合唱。改めて思うけれど、よく大槻は著書やMCでバンドブームについて触れているが、筋少はバンドブームっぽいバンドでは決してない。いつの時代も筋少は筋少でしかないというか……こういったタイトルのライヴでは逆に、そんな彼らの強みを実感する。

ここで大槻が「客層が読めないんだよ。25年振りにラバーソウル引っ張り出して来るのかと思いきや、そうでもない(笑)」と、年齢の調査を実施。何と10代で僅かに手が挙がり「WESTと間違ったでしょ!」と疑う大槻(でも、実はO-WESTでライヴをやっていたのはウィラードですから、大槻さん!)。やはり最も多かったのは30代と40代。「バンドブーム知ってる世代?」という問い掛けに、元気よく「ハーイ!」と応え、「ハイになりましょう!」と言えば、「ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!」と返ってくるという(ブラボーの“ハイになりましょう”です)、大槻とも息の合ったコミュニケーションを見せるあたりは、バンドブーム世代のパワー恐るべしとしか言いようがない(笑)。

橘高と本城聡章がセンターでド派手なギターソロを見せた“日本印度化計画”、当時ブラウン管から聴こえてきたインパクトが蘇ってきた“サボテンとバントライン”、「バンドブームの時はなかったけれど、タオルを回してみましょう!」と、サポートメンバー長谷川浩二の超絶なツーバスに合わせてタオルが舞った“これでいいのだ”と、怒涛の流れを見せたところで、ほっこりとメンバーが語り出す。デビューした頃に、ジュンスカとライダーズというレーベルメイトと共にツアーを廻ったこと、ちょうと筋少はギタリストがおらず、ギタリストなしでライヴをやったこと……そんな中で橘高が「ジュンスカを見ていて思い出したけど、当時は“釈迦”も縦ノリだったよね」という逸話を明かしてくれた。盛り上がり方にも歴史あり! 今の時代の盛り上がり方は20年後、どう見えるんだろう?

アコースティックな“新人バンドのテーマ”を経て、「25年いろんなことあったよ、ハァ……」としんみりし、その空気を打破しようと「オーケー!」と叫ぶも咳込んでしまうという大槻の急展開もありつつ、「25年の思いを歌ってやるぜ!」とはじまったのは“中2病の神ドロシー”。この曲は、ジュンスカの“青春”と同じく、最も胸に響いてきた。彼らのメジャーデビュー25th記念曲であり、《そのバンド/本当はいなかった/25年見てたのは/自分の心さ》という、バンドブーム以降、様々な現実にぶち当たっても、バンドという熱に浮かされ続けている人たちに、染み入らずにはいられない曲。ジュンスカも筋少も、当時の曲以上に、近年リリースされた曲が強く印象に残ったことは、何ともドラマティックではないだろうか。なお、龍角散を舐めて咳込みを抑えて挑んだ(笑)“イワンのバカ”では大槻は「まだまだやってくよー!」と叫んでいた。そう、まだまだ熱に浮かされていたいんだ。

「バンドブームの曲でお別れです!」と“踊るダメ人間”で会場を一つにしてステージを降りたものの、止まないアンコール。そして再び現れた大槻が、筋少、そしてジュンスカのメンバーをステージに迎え入れる。セッションしたのは、「音楽性が違うので、バンドブームの名曲を」と、アンジーの“天井裏から愛を込めて”! この曲名が告げられた時の大歓声と言ったら。実は開演前にぼんやりと「このメンツにアンジーとか加わったら、もっと面白いんだけどな……」なんて考えていた自分としても、嬉し過ぎる驚きだった。最後はなぜか、“ボヨヨンロック”を口ずさみつつの記念撮影(笑)。25年目にして、バンドブームの刹那を、バンドブームの強さが越えていったような、本当に記念すべき夜だった。(高橋美穂)
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