奥田民生 @ 渋谷公会堂

『okuda tamio tour 2011-2012 ~おとしのレイら~』の追加公演にしてツアーファイナル、渋谷公会堂。
まず、セットリスト。私、東京渋谷はNHKホール2デイズの2日目=1月12日(木)も観たのですが、10曲目と13曲目が違いました。(   )で書いてあるのが、12日にやった曲です。つまり、その2パターンのメニューでツアーを回ったものと思われます。あと、違ったのは、後述しますが、2回目のアンコールね。

1.ギブミークッキー
2.ルート2
3.わかります
4.夕陽ヶ丘のサンセット
5.何と言う
6.フロンティアのパイオニア
7.ベビースター
8.ライオンはトラより美しい
9.ロボッチ
10.かたちごっこ(人間)
11.ダンス・ハ・スンダ ※ヴォーカル:小原礼
12.監獄ロック ※同じくヴォーカル:小原礼
13.手紙(愛のボート)
14.MANY
15.最後のニュース ※井上陽水のカヴァー
16.解体ショー
17.御免ライダー
18.明日はどうだ

アンコール1
19.拳を天につき上げろ
20.近未来

アンコール2
21.息子 ※by奥田民生&斉藤和義&吉井和哉
22.さすらい

というように、シングル『拳を天につき上げろ』のリリース・タイミングでのツアーであり、つまりアルバムのツアーではないわけで、そしてフェスとかの時みたいにサービス・セットにしなくてもいいわけで、なので、このような自由な選曲になったのだと思います。
あと、これは私の勝手な想像ですが、「シングル出るからこの時期にツアーを」ってことじゃなくて、元々このツアーやることが先に決まってて、あとからサッポロのCMの話が来てシングル出すことになったんじゃないかなあ、と思います。とにかく、普段なかなかやらない曲も聴けて、ファンはとてもうれしいメニューであった、と言えましょう。

そして。そもそもこのツアー、2010年の11月~12月に回ったツアーのMCで「来年は小原礼(ベース)が還暦だから、還暦記念ツアーをやろう」とかOTが言っていたのを現実にしたものです。その時のライヴレポはこちら。http://ro69.jp/live/detail/45630 だからこのタイトルだし、小原礼、髪の毛もベースもサングラスのフレーズも、アンプのキャビネットもマイクの先っぽもマイクのコードも背後のソファーも、全部赤で統一されてました。
11曲目と12曲目で、小原礼がヴォーカルをとったのも、そういう理由です。11曲目は、かつて彼が在籍したサディスティック・ミカ・バンドの曲。12曲目はロックンロールのスタンダードですね、オリジナルはエルヴィス・プレスリー。独自の日本語詞を付けて歌っておられました(このOTバンドのメンバーの名前が出てくるようなやつ)。この2曲では4人とも、物販で売っている真っ赤な「還暦記念パーカー」を着て演奏。ちゃんとフードまでかぶる、というのがお約束でした。

で、アンコール。1月12日のNHKホールの時は、1回目のアンコールで上記の2曲、2回目で“さすらい”やっておしまい、でしたが、今回は2回目のアンコールでサプライズ、ありました。昨日の私のブログにも書きましたが。
OT、なんと、斉藤和義と吉井和哉を連れて登場。OT「アルフィーです!」「斉藤和義! 吉井和哉! 坂崎幸之助です!」「“ディスタンス”やります!(“星空のディスタンス”のことですね)」などと言いつつ、3人でステージ中央のソファーに座って、OTと斉藤和義はアコギを、吉井はタンバリンを手にしながら、“息子”をやってくれました。場内全員大興奮。
OTのMCによると、ツアー先の長崎で、OTが斉藤和義を観に行ったら「出ましょうよ」とか言われてそのまま出たので、そのお返し、みたいなことだったようです。今、調べたら、昨年の12月10日(土)の長崎市公会堂が斉藤和義、翌日11日(日)がOT、イベンターはどちらもキョードー西日本でした。なるほど。
で、吉井さんはほんとにただの巻き添えで、来たらいきなり言われたらしい。「普通に観に来ただけなのに……」とこぼしておられました。確かに、思いっきり普段着でした。いや、斉藤和義も普段着だったけど、それと通常のライヴ時とのスタイリングの差は吉井さんの方があるので、ちょっと新鮮でした。

そして。これ、このツアーの一番大事なキモだと僕は思っているんだけど、1月7日(土)の府中の森芸術劇場・11日(水)と12日(木)のNHKホール・この31日(火)の渋谷公会堂の東京圏4箇所で、その日のライヴを録ってそのままCDにして売る、ということが行われました。
『Tamio Okuda “Gray Ray & The Chain Gang Tour”』というCDタイトル。枚数限定で、希望者は開演前に代金先払いして終演後に受け取る、というもの。12日も31日も、終演後、長い行列ができていました。日によって、500枚とか750枚とかの枚数限定にしていたのは、単純に、その場でCDにできる限界数、だったのだと思います。OTの部署ではないSMAのスタッフを会場で見かけて、あとで、「観に来たの?」ってメールしたら「いや、ライヴCD作るお手伝いで」という返事が来たくらい、つまり事務所内のスタッフをかき集めるくらい、ほんとに手作業で、人力で行ったようなので。逆に言うと、そういう助っ人に頼れないこととか、録音機材の問題とかあったので、地方ではできなかったんだろうなあ、とも思います。
これ、客前で1ライヴにつき1曲レコーディングし、その曲をその直後に配信で売った『ひとりカンタビレ』や、そのフォーマットをROCK IN JAPAN FES.の会場に持ち込んだ『数人カンタビレ』と同じように、とにかく新しいことをやってみる、という試みだ。音楽業界が……いや、業界だけじゃなく、音楽というもの自体の、世の中におけるあり方自体が、ものすごい転機を迎えている今という時代に、自分は音楽を生業にしている。じゃあどうするのか。ということを考えて、とにかくなんらかの新しいトライアルをしてみる。というアクションのひとつだ。
こんなにベテランで、成功していて、人気があって、ちゃんと評価もされていて、尊敬も集めていて、そして本来はそういう「ITっぽいこと」はまったく得意でない、アナログな体質でアナログな音楽をやっている奥田民生というアーティストが、率先してそういうことをやっている。という意味合いを、みんな、もっとじっくり考えた方がいいと思います。「みんな」じゃないか。私も考えます。出版業も今、まったく同じ状況を迎えているので。

それから、そういうOTのトライアル、どれも共通項として、「まず肉体がなければ成立しないことをやる」というのがある。OT自身の肉体も、「オーディエンス」という肉体も含めて。というのが、何かすごく、正しいなあと思います。

あともうひとつだけ。2010年前半は『ひとりカンタビレ』のツアー、つまりアルバム『OTRL』を作るツアー。そのあと『OTRL』をリリースして、夏フェスとか回って、秋冬で『OTRL』の(言葉本来の意味での)リリース・ツアー。で、2011年になってすぐユニコーンの制作に入り、5月にアルバム『Z』を出してツアーがスタートして、間に夏フェスと『ZⅡ』のリリースをはさんで10月までそのツアーをやって、同じ10月に厳島神社で『ひとり股旅』もやって、ユニコーンがひと区切りしたと思ったら11月末から2012年1月いっぱいまで、このツアー。途中でシングル『拳を天につき上げろ』もリリース。
つまり、「ソロの活動でユニコーンをはさんだ」みたいなことになっていたわけです、2010年頭から2012年1月までのOTは。このあとの予定、どうなっているのか知りませんが、さすがに、そろそろ、どかーんと休んでもいいと思います。(兵庫慎司)
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