ベイルート @ 渋谷O-WEST

昨年8月に3rdアルバム『The Rip Tide』をリリースしたザック・コンドン率いるベイルート。ゲスト・アクトにトクマルシューゴを迎えて18日にスタートした待望の初来日ツアーは、初日の渋谷クラブクアトロ公演が早々にソールド・アウトしてしまったため、ツアー最終日として今夜の追加公演(ゲストはなし)が設けられた。

ジョルジ・ベンのBGMがフェイド・アウトし、暗転した会場に現れたベイルートは6人編成。後方にドラムとベース、前方ではザックがトランペットを持ち、他の3人がそれぞれアコーディオン、グロッケンシュピール、トロンボーンを担当して、1stアルバム『Gulag Orkestar』からの“Scenic World”で幕を開ける。

ウクレレ、ホルン、アップライト・ベース、ピアノ、さらにはスーザフォンまで用いた多彩な楽器編成が奏でるメキシコ音楽風の“The Shrew”やバルカン音楽の要素を取り入れた“Elephant Gun”といった多国籍な楽曲は、異国の祭日に迷い込んでしまったかのようなエキゾティシズムと穏やかな陽気さを湛えている。アコースティックな楽器が多いせいか全体の音量はどちらかというと抑えめで、しかしそのぶん最大で3管同時に吹き鳴らされるホーン・セクションの華やかさが際立つ。

中盤の山場となったのは、初期の人気曲“Postcards from Italy”、ダンサブルなワルツの“Mount Wroclai (Idle Days)”、そしてアコーディオンと歌だけでスタートした“Nantes”。いずれの曲でも通常のロック・バンドにおけるギターの役割をアコーディオンが果たしていて、歪みや重さのあるサウンドでは表現することのできない水彩画のような情景、各曲のタイトルにもなっているそれぞれの土地の情景を繊細に描いてみせる。

感謝の言葉を述べる程度の短いMCを挟みながら披露された本編15曲は、ライヴ仕様ということもあるのかアップテンポな過去作が中心で、ニュー・アルバムのタイトル曲や“A Candle's Fire”などの曲が聴けなかったのは残念だった。しかし他の演奏曲とはいくぶん趣の異なる、リアルな肌触りのある温かみのようなものが感じられたのは、ザックのクルーナー・スタイルのヴォーカルがひときわ魅力的な“East Harlem”や“Port of Call”など、やはり新作『The Rip Tide』からの曲だった。

「ヴァガボンド(放浪者)的なものって、10代の僕が真剣にのめり込んでいたファンタジーだったんだ。音楽は僕にとってエスケーピズム(現実逃避)だった。でも今の生活はそれとは真逆のものばかりだから。結婚したし、家も買ったし、犬だって飼っている」と昨年のインタビューで語っているザック・コンドンにとって、『The Rip Tide』以前の作品は、音楽という非現実、そしてアメリカとは全く違った生活が展開されているはずの外国という非現実によって現実から二重に隔てられた異世界のようなものだったのだろう。

そうした確固とした異世界性を表現できるアーティストはごく限られている。今夜のライヴからも感じられたように、そこには我々が生きる世界の外側にある物事の豊かな多様性があり、それによって獲得される本質的な包容力がある。だがフランス、バルカン半島、メキシコ、南米といった地域の音楽を取り入れながらあらゆる楽器を試し、実際にツアーで世界中を回ったザックを待ち受けていたのは、彼の言う「アイデンティティ・クライシス」だった。

自分という存在が何者なのかについての危機に直面した彼は、『The Rip Tide』において自身の演奏する楽器をピアノとウクレレとトランペットに限定し、ワールド・ミュージックの影響を抑えて内面から湧き出る音楽だけを作ろうとしたという。その収録曲、例えばピアノと歌だけというむきだしのストラクチャーで始まった“Goshen (http://www.youtube.com/watch?v=UsuHjufNs-U)が提示するささやかな希望は、まだ歩き始めたばかりの幼児のように頼りなげではある。

しかし同時にそれは――やはり幼児のように――現実世界を信頼しきっており、それゆえにその歌は危機の中から、それが初めはどれほど弱々しいものであれ、新しい力が芽生えてくることの喜びを見事に捉えきっている。新作での音楽性の転換について彼は「僕は大人になろうとしているんだと思う」と話しているが、大人になるということは、やや逆説めいた言い方になるけれど、自分の中の幼児を自分で育てていくことができるようになることなのではないだろうか。

アンコールではウクレレを持って1人で現れたザック・コンドン。“The Penalty”でコードを間違えて弾いてしまったときのはにかんだ表情は、大人と子どもの入り混じる25歳の青年のものだった。20歳で華々しくデビューしたアンファン・テリブルが初めて現実から逃避することなく自分自身のための世界を作り上げ、その過程を高らかに肯定したまさにその瞬間を、今夜の私たちは目にしたのかもしれない。(高久聡明)
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