BRAHMAN@幕張メッセ9~11ホール

BRAHMAN@幕張メッセ9~11ホール
BRAHMAN@幕張メッセ9~11ホール - pics by 三吉ツカサpics by 三吉ツカサ
いきなり結論めいたことから書いてしまいますが、この『2011 TOUR
「霹靂」』ファイナルで1万4000人を前に繰り広げられたBRAHMANのステージは、これまで観たどのBRAHMANのステージよりも壮絶かつ鮮烈かつセンセーショナルで、とにかく筆舌に尽くしがたいほど圧倒的なものだった。いや、今年の『ROCK IN JAPAN』大トリとしてのステージも圧倒的だったし、まだ記憶に新しい『AIR JAM 2011』でのステージものけぞるほど圧倒的だった。つまり、BRAHMANは、「これ以上どうスゴくなるんだろう?」と思えるほどのステージを毎回繰り広げながら、筋力が超回復するように着実にビルドアップを遂げ、驚くべきことに、さらなる高みへと到達していたのだ。詳細は後述するとして、主催ライブとしても最大規模の記念的ステージに立ち会えたことがとにかく誇らしく、もう手放しで絶賛するほかない筆者であります。

何しろこの日は、ゲスト・アクトがCUBISMO GRAFICO FIVE、難波章浩-AKIHIRO NAMBA-、Ken Yokoyama and more...というラインナップで、最後まで公表されなかった「and more...」を巡って様々な憶測を呼んでもいて、それが会場に一種異様なムードを生み出していた。その過剰な期待を断ち切るように、ライブ中盤にケニーは「今日、ハイスタ期待してる方いっぱいいらっしゃると思うんだけど、ゴメン、今日はやらないわ。なんて言うか……ゴッチャにしたくないんだわ、自分の活動と。そこはわかってつかーぁさい!」と語り、その気高くも潔いアティテュードに喝采が送られたりもしたのだった(「TOSHI-LOWに『Ken Band終わったらもう一回考えてよ』って言われたから、そりゃあ考えるけど。じゃあ、Junさんがやれって言ったらやるわ(笑)」と続け、「そんな、責任重大じゃん!(驚)」とJunGreyが絶句したりも・笑)。

また、会場内には物販、飲食屋台の出店、クローク、カメラマン・Tsukasa氏の写真展のほか、BRAHMANと縁深いPAチーム・SPC主導の「東北ライブハウス大作戦」(宮古、石巻、大船渡にライブハウスを建設することを目指したプロジェクト)ブース、そして復興支援を目的としたINSPIRIT×BRAHMANのコラボ・ジャージや被災地の方々の手作りアクセサリー販売ブースも設けられ、多くの来場者を集めて賑わっていた。これを機に、また復興の歩みが一歩前進することだろう。

で、BRAHMANのステージに話を戻すと、まず、冒頭から度肝を抜かれました。ツアー・ファイナルなど記念的なステージではスペシャルなオープニング・ムービーで激アガりさせてくれるのが恒例ですが、この日のそれは過去最大級のスペクタクルを誇っていたのだ。つまり、暗転と共にステージ両脇のモニターに降ろされた白幕+ステージ・バックとあわせての3面スクリーンを目いっぱいに使って、唖然とするほどダイナミックかつ壮大な映像が展開!
早くも場内は大興奮となり、1曲目“A WHITE DEEP MORNING”が高らかに鳴らされたのち、TOSHI-LOWがMC――「たとえ無理だってわかってても、負けるってわかってても、絶望じゃねえよ? 闘志が湧いてくんだよ。カッコつけて言ってるわけじゃない、懸命に生きたいだけだ。生きてる限り、迷うんだろう、失うんだろう。それでも……、BRAHMAN始めます!」。沸点越えの熱狂に沸くフロアを“THE ONLY WAY”がさらに加速させ、続く“賽の河原”では再びスクリーンにムービーが投影。完璧なシンクロを成すバンド・サウンドと映像+照明が未知なる興奮体験を生みだし、“賽の河原”フィニッシュと同時に両脇の白幕が切って落とされ、現れたモニターには大写しのTOSHI-LOW、そして間髪置かず“BASIS”投下!と、もう怒濤につぐ怒濤の展開で驚嘆しっぱなし! メッセは前方のAブロックのみならず、後方Bブロックまでモッシュ&ダイブに沸き立ち、壮絶な肉弾戦が展開され続けたのだった。

中盤の“最終章”ではモニターに被災地の映像が映し出され、その惨状に目が釘付けにされるとともに、後悔や苦悩といったもの全てを振り切って、絶望の淵から必死で這い上がろうとするバンド一丸のパフォーマンスに身震いを禁じ得ないほどだった。“THE
SAME”、“ARTMAN”といった初期曲もオーディエンスを沸かせ、終盤の“PLACEBO”ではTOSHI-LOWがステージを降り、オーディエンスの真っ直中に立って万感の想いを込めて熱唱。そのままかなり長めのMCを披露したのだけれど、何しろ心を震わせてやまないものだったので、以下にメモれた限りを書き記しますね。

「どうも、自分たちがメインだと……ダメだな(場内笑)。13年ほど前、98年の『AIR JAM』が始まる前に、まだ俺がツルツルで、まだ今よりもチャラくて薄っぺらい時、ハイスタの『FUCKIN' BAND BOOM
TOUR』っていうのに誘われて。一生懸命飛んだり跳ねたりしたけど、まざまざと力の差を見せつけられて。その頃の俺は敬語っていうジャンルの言葉を使えたから、『横山さん』とか言って。「横山さん、今度、俺たちがイベントやったら出てくれますか?」って言ったら、「ハイスタ出たらオオゴトになるからダメ」って言われて。そっから13年間、執拗に追っかけてきたけど、今日もスルーされたな。いいんだ、来年があっから(場内大喝采!)。よく考えたら、ゴレンジャーでも青とか緑とかが好きなんだ。来年の東北の『AIR JAM』で赤レンジャー待ってるわ!(場内再び大喝采!)」「慣れないデカイところでやって、俺たちが遊んでたライブハウスみたいな値段でやってみたくて、まぁやってみたんだけど、赤字です(ちなみにこの日のチケ代は、メッセ公演としては破格の\2,980!)。偉い人に『算数できねぇのか!』って散々言われたけど、俺、知ってんだ。夜勤明けで、ここ来てるヤツ。少ない小遣いで、ここ来てるヤツ。高い交通費払って遠いところから――東北、三陸、福島から来てくれてるの、知ってんだ。だから、いいじゃねえ? 今年ぐれぇ、利益とか利潤とか、そんなの追っかけなくていいじゃねえ? 今年ぐれぇ喧嘩してる手止めて、握手しったっていいじゃねえ? 今年ぐれぇ、人のこと罵ってんじゃなくて、人の哀しみに寄り添ったっていいじゃねえ? 今年できたんなら、来年もできんじゃねえ? 少なくとも、あの瓦礫の街に火が灯って、もうちょっと安心して暮らせるまで、そんぐれぇ、いいんじゃねえ?」

「テキトーにしゃべってんだ。真剣にならなくていいよ」とTOSHI-LOWは笑っていたけれど、メッセは賞賛と賛同の喝采で沸き返ったのだった(こんなMC聞かされたら、ねえ?)。そしてラストには、“霹靂”の柔らかな音色がすべてを慰撫するように場内を包み、苛烈なバンド・サウンドで今一度クライマックスへ!
そのようにして、90分にわたった熱戦は幕を閉じたのだった(手を合わせて、何度もフロアへ頭を下げるTOSHI-LOWの姿が印象的)。終演後に投影されたエンドロールにはチームBRAHMANが被災地で行ってきた支援の様子が映し出され、それがまた実にドラマチックかつ心温まるもので、ここでも大きな喝采が――。畢竟、あらためてBRAHMANに惚れ直した、今年の活動を集成したような一夜だった。(奥村明裕)


BRAHMAN セットリスト
01: A WHITE DEEP MORNING
02: THE ONLY WAY
03: 賽の河原
04: BASIS
05: THERE'S NO SHORTER WAI IN THIS LIFE
06: SPECULATION
07: CHERRIES WERE MADE FOR EATING
08: DEEP
09: BOX
10: BEYOND THE MOUNTAIN
11: TONGFFARR
12: 最終章
13: ARRIVAL TIME
14: FOR ONE'S LIFE
15: SEE OFF
16: LOSE ALL
17: ANSWER FOR...
18: THE SAME
19: ARTMAN
20: PLACEBO
21: 霹靂
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