N'夙川BOYS @ 下北沢SHELTER

N'夙川BOYS @ 下北沢SHELTER - pic by Masayoshi Akutsupic by Masayoshi Akutsu
「君たちにも訪れると思う! 『理想の自分とは違う』って思うこともあるけど、ありのままの自分で突っ込まなきゃいけない瞬間が! 多々あるよね! 『ある!』って思った人は、俺たちの味方だ! いや、『こっち側』だ!」。アンコールでマーヤLOVEがそう叫んだ瞬間に、パンパンに詰まった満場の下北沢シェルターから噴出した、耳をつんざく大歓声! 「西宮最狂バンド」の異名をとるKING BROTHERSのマーヤLOVEとシンノスケBOYsに紅一点のリンダdadaを迎え、2007年に大阪・太陽の塔の下で結成された、ロックンロール・スリーピースN’夙川BOYS。この日はゲストにギミギミギミックスを迎えて行われた、彼らの記念すべきメジャー・デビュー・アルバム『PLANET MAGIC』のレコ発ツーマン「PLANET GENERATION」東京公演。ライヴを観ている最中に筆者が、「ロックンロールの可能性」みたいなことを恥ずかしげもなく本気で考えてしまったのは、ラフで、やけっぱちで、出たとこ勝負の、しかしそれゆえに圧倒的にイノセントなロックンロールを繰り広げるN’夙川BOYSの3人が、その答えを目の前で体現していたからなのだろう。本当にかけがえのない、素晴らしいライヴだった。

開演時間を少し回った19時15分。はじめに登場したのは、戸川純(Vo)、ブラボー小松(G)、中原信雄(B)、矢壁アツノブ(Dr/いつもは富岡“GRICO”義広が叩いているが、スケジュールの関係でこの日は矢壁が出演)から成るギミギミギミックス。このバンドは20年ほど前から活動している戸川純の別プロジェクトだが、音源のリリース無し、ライヴは不定期、しかもかなり少ない(この日で7、8回目くらいとのこと)ということで、要は非常にレアなアクトである。この日披露されたのは、The Velvet Underground、The WHO、Ian Duryなどの王道洋楽カヴァーに加え、ソロ名義や「戸川純とヤプーズ」名義の曲まで、全9曲。50分ほどの短い時間だったが、可愛さや格好良さ、そしてあのえも言われぬ狂気を含め、戸川純という人間の「凄み」を改めて感じることができたステージであった。

そして20時45分頃、オープニングSEのThe Strokes“The Modern Age”にのって登場した後攻・N’夙川BOYS。「今日はたっぷりいくぜー!」というマーヤLOVEの言葉通り、この日の彼らはおよそ2時間弱の間にアンコールを含めて全16曲を披露。N’夙川BOYSのライヴ未経験の方は、もしかすると「全然普通じゃん!」とお思いになるかもしれないが、これ、結構画期的なことなのである。というのも、N’夙川BOYSは「ツイン・ギターにドラム」という楽器数こそ決まってはいるが、メンバーのパートが特に固定されていないうえ、曲によってコロコロ交替したりする。なので、曲が終わって「じゃあすぐ次」というわけにはいかず、そのぶん他のバンドよりも時間がかかる。で、その間をMC(これがなかなか楽しい)とかで繋いでいたりすると、普段のだいたい30分くらいの尺のライヴでは、4曲くらいしかできないのである(マーヤも自分で、「30分4曲バンド」と言っていました)。だから正直、この日はかなり嬉しかった。

今月20日(木)に大阪で行われるレコ発ライヴのネタバレ防止のため、詳細なセットリストは明かすことができないのだが、書ける範囲で書いてしまうと、この日は新作の楽曲を中心に、初期の名曲“死神DANCE”“フェアリー”などの人気曲を要所にちりばめるというセット。あと、「ダウンロードできるの知ってるかい? そのクオリティやと思ったら大間違いだぞ!」とマーヤが言ってから、バービーボーイズ“目を閉じておいでよ”のカヴァーもしっかりやってくれました。そしてこの日最大ハイライトは、映画『モテキ』のライヴシーンでも演奏していた“物語はちと?不安定”。シンノスケのギターにのせて、マーヤとリンダがハンドマイクで「こんなにたくさんの人たちに僕らは下北沢シェルターで出会って〜♪別れて〜♪」と歌ってから突入した導入部から、オーディエンスが盛大にジャンプした中盤、そしてメンバー全員がフロアにダイブしてしまったクライマックスまで、まさしく「壮絶」としか言いようがない数分間だった。

あと、最後にひとつ書いておきたいのが、演奏。ご存知の方はご存知の通り、N’夙川BOYSはベースレス・バンドであり、ドラムを本職とする人がひとりもいない。それでも「全員ドラムがめちゃくちゃ上手い」とかだったら問題ないが、彼ら別にそうではない。たとえばエイト・ビートを叩くにしても、全員が全員「エイト・ビートをエイト・ビートとして成立させるのに神経の大部分を注ぐ」みたいな叩き方をする。だからバンド・サウンドの土台となる部分は基本常にガタガタだし、そうなると必然的にアンサンブル全体がスカスカになるし、必要以上にギャンギャンかき鳴らされるギターの音ともちぐはぐになる。でもこの日、そんな彼らの荒削りな演奏を聴いていて、なぜか突然、ふとしたタイミングで全てをもっていかれることが、大声で叫びたくなるようなことが何度もあった。で、その理由をライヴ中ずっと考えていた結果、わかった。それは、N’夙川BOYSのロックンロールが、我々の「ロック原体験」とも言うべき記憶を、強烈に呼び覚ます性質を持っているからだった。ごくごくシンプルなアレンジで目一杯鳴らされる爆音が、初めてテレビやラジオから流れてきたロックンロールに全身を打ち抜かれた時の衝撃を、自信満々なのにひどく荒削りな演奏が、わけもわからず初めてギターを「ジャーン!」と鳴らした時の無敵の気分を、我々に思い出させてくれるからだった。思うにこれは、彼らが仮に今後演奏が上手くなって、凝ったアレンジの曲とかをやるようになったら、我々の耳目がそっちに向かってしまうため、損なわれてしまう性質である。だから、今のメジャーシーンでこんなことができるのは、「大事なものたったひとつ」以外はじめから持っていなかったN’夙川BOYSと、意識的に「それ」以外を全て削ぎ落としたザ・クロマニヨンズ(彼らは普通に演奏上手いが)くらいだと思う。で、それって、本当にかけがえのないものだと思う。聴く人の価値観を、人生を激変させる(既にそれを体験した人には、その時の風景を想起させる)、純粋な魔法のような音楽。N’夙川BOYSが目を血走らせながらどでかい音で鳴らしているのは、たぶん、そういうロックンロールだ。(前島耕)
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする