初のフル・アルバム『NUDE+』リリースに伴い行われた初の全国ワンマンツアー『NUDE+TOUR』。7月17日に地元・神戸の太陽と虎で追加公演が決まっているものの、本公演がツアーファイナルという位置づけになっている。ライヴ後半にMCで渡辺大知(ヴォーカル)も「今まで地方でもらってきた想い、ぶつけたるわ!」と言っていたが、まさにツアーの集大成を見せようという気概と今の自分たちの全力を出し切ろうという瑞々しい決意に満ちたライヴだった。
定刻に5分だけ遅れてステージが暗転し、メンバーが現れる。渡辺は髪を逆立て、素肌に白シャツ、黒い長ズボンという出で立ち。エレカシ初期の宮本のようである。オープニング・ナンバーとして演奏されたのは『NUDE+』から“ダイナマイトを握っているんだ”。演奏が始まると俄然輝きを放つのが楽器陣の3人。ギターの抜群の鳴りの良さと派手なアクションでバンドに華をもたらす澤竜次(ギター)。直立で変態的なフレーズを弾き倒しながら静かに殺気を発しまくる宮田岳(ベース)。自由奔放、本能的に暴れまわる岡本啓佑(ドラム)。それぞれが異なる個性を爆発させるこのキャラの立ちっぷりは、「ロック史上随一にキャラの濃いバンド」ザ・フーを彷彿とさせるほどだ。また、ライヴを見る度に思うのだが、このバンドはヴォーカルと楽器陣のギャップに目が離せなくなる。早くもロックの核心に手を突っ込んで引きずり出したような名リフを量産している澤が特に顕著だが、楽器陣の3人は日本のロック黎明期のバンドから受けた影響を隠そうとはしないものの、それを完全に血肉化し、ミュージシャンとしての成熟を手にしつつある感がある。ミュージシャンとしての自分のルーツとキャラクターを自覚し、またそのキャラクターが完成しつつあるように見えるのだ。その兆しはデビュー時からすでにあったし、音源を出す度、ライヴを重ねる度によりその完成度は高まっている。対して、ヴォーカルの渡辺大知は、全くその逆なのだ。村八分を聴いて、スターリンを聴いて、「ああなりたい」と思ったときのまんま、ロックンロールに射抜かれた原風景に未だ留まっているのである。もちろん我々から見れば、メジャーデビューし、映画の主演を張り、こんな大きなハコでライヴをしている彼はとっくに「向こう側=ロック・スターの側」に見える。しかし彼は「こちら側=ロック・スターに夢を見る側」にい続けているのだ。表現技法というにはあまりにも切羽詰った、「今叫び出さずにはいられないから」しているようにしか見えないシャウトを繰り返す姿や、無邪気にステージ上を飛び跳ねる姿からはそのことがひしひしと伝わってくる。それはつまり、彼が憧れるロックンロール・スター像にまだまだ彼が追いついていないからなのだろう。それだけヤラれきっているのだろう、ロックンロールに。好きにならずにいられないじゃないか、そんなやつ。ともかく、その両者が1つのバンドでロックンロールをやっている、という点が僕は黒猫チェルシーの魅力に直結しているように思うのである。たとえば若いシンガーソングライターがライヴに際し熟練のバック・バンドを用意してもらうのとは、音も見た目もまるで違うのだ、彼らの場合。それはもう明確に、神経も血管も繋がった「バンド」なのである。だから面白い。彼らに対し、あえて思いつく限り最も恐れ多い比喩をすると、今のクロマニヨンズのヴォーカルをブルーハーツでデビューした頃のヒロトがやっている感じだと僕は思う。そりゃあ目が離せないだろうという話だ。
最初にフロアの熱狂が頂点に達したのは、澤の「甘い甘いラヴソングをやります。甘い甘い気持ちで聴いてください」というMCの後に演奏された“南京錠の件”。必殺のバラードを演奏するかのようなMCだが、ファンは百も承知な通り、ハード・ドライヴィン・ロックンロールである。つまり、彼らにとって甘さと湿り気とは全くの別物なのだろう。いちいちやることが格好良い。また、畳み掛けるように演奏された“オーガニック大陸”、“ベリーゲリーギャング”も、天井を知らないかのようにフロアをヒート・アップさせ続けた。特に“ベリーゲリーギャング”は、音源では演奏の隙間が際立ったポストパンク風の音像になっているのに対し、より平歌のドラムのビート感とサビのコーラスを強調したアレンジをとっていて、そのライヴ・バンドとしての嗅覚の良さに驚かされた。音源のヴァージョンも普通なら完成型として大事にしたくなって当然なほどよくできているのだが、ライヴでやるなら完全にこっちの方が機能するだろうと思う。
冒頭に書いた渡辺のMCを挟んで演奏されたのが、新作からの“YOUNG BLUE”と“夜更けのトリップ”。『NUDE+』というアルバムはこれまでに比べサウンド・プロダクションが磨かれ演奏の全体像が明瞭になったことで、黒猫チェルシーというバンドの本当のスケールが現れたと同時に、世間に「発見」されてからのこの数年で彼らが手にしたものと失くしたもの、また環境がどうなろうと変わらないものが明らかになった作品だったと思っている。で、ライヴの場において彼らの変わらない部分=100%ピュアなロックンロール・ジャンキーぶりが前面に出るのはある意味当然だと思うのだが、その上で彼らが得たものまでもが増幅された形で剥き出しになっているのが素晴らしいと思った。その得たものとはつまり、自分たちがロックンロールの中心に飛び込むだけでなく、自分以外の人間までもその中に巻き込んでいこうとする意思である。曲調が異なるこの2曲、ストレートなパンク・ソング“YOUNG BLUE”とハードコアな演奏とポップな歌メロの対比が面白い“夜更けのトリップ”においても、聴き手が一緒に盛り上がれるポイントを作る、そのポイントを分かりやすく際立たせる、という点で等しくその意思は表れていたと思う。また、“廃人のロックンロール”、“黒い奴ら”という「鉄板曲」を差し置いて本編の最後に演奏された“Hey ライダー”と“北京ベイベー”(これらも新作からの曲)でのフロアの盛り上がりは、その意思が正しくファンに伝わっていることを示していたのではないだろうか。
最後に、本当に蛇足なのだけど、“Hey ライダー”のギターソロで澤が見せた、マラドーナのフェイントみたいなステップ。非常にツボだった。押さえきれない興奮があんな風に出るやつ、見たことがない。色々な面で規格外な男である。(長瀬昇)
セットリスト
1.ダイナマイトを握っているんだ
2.ノーニューヨーカー
3.ショートパンツ
4.泥カーニバル
5.あらくれにっぽん
6.モーター
7.郷愁
8.南京錠の件
9.オーガニック大陸
10.ベリーゲリーギャング
11.YOUNG BLUE
12.夜更けのトリップ
13.スピーカー
14.オンボロな紙のはさみ
15.廃人のロックンロール
16.黒い奴ら
17.Hey ライダー
18.北京ベイベー
アンコール
19.嘘とドイツ兵
20.バンドマン