サカナクション @ Zepp Tokyo

サカナクション @ Zepp Tokyo
6月よりスタートした計6公演からなるZeppツアー『SAKANAQUARIUM 2011“ZEPP ALIVE”』のファイナル、Zepp Tokyo公演2日目。サカナクションにとって今年初のツアーである。チケットはもちろん全会場瞬く間にソールド・アウト。先に結論から言ってしまうと、昨年の日本武道館公演で見せたパフォーマンスをさらに磨き上げ、再構築し、『kikUUiki』(汽空域)のさらに向こう側にある到達点を見据え、今まさにそこへ飛び立とうとバンドが跳躍する瞬間を、そして、新たなサカナクションを垣間見たような、素晴らしい夜だった。

場内が暗転したのは定刻を少し回った19:10頃だった。凄まじい量のスモークがステージを覆い尽くすと、その向こう側に山口一郎(Vo/G)が大きく手を広げているのがうっすらと見える。江島啓一(Dr)のアブストラクト寄りなビートと力強いキック、岡崎英美(key)の幾重にも折り重なる鮮やかなシンセがアンサンブルのボルテージをぐいっと引き上げ、バンドが生き物のように巨大なうねりを見せていく。自前の曲ともサウンド・コラージュともつかない音の連鎖をオープナーに、2曲目“インナーワールドへ”。「ファイナルトーキョー!!みんな用意はいいか!!!」、山口の咆哮を合図に、フロアは即刻、歓喜と狂騒のダンス空間に。“セントレイ”、“アドベンチャー”、“表参道26時”、どの曲も以前に聴いてきたものなのに、新しい扉を片っ端から開けていくようなフレッシュな高揚感を宿している。そして、1曲1曲分析していたくなるほどの、ある時は繊細で、ある時は大胆なアレンジの数々。ステージの5人は生命力の結晶のようなエネルギーに満ち満ちている。それに呼応するように、フロアの歓喜度は、ライブが進めば進むほどにどんどんせり上がっていく。そこにはある種のカタルシスも内在されているのだけど、サカナクションはそれすらもグルーヴの塊へと還元していき、序盤からひたすらに上昇軌道を描いていくのだった。

サカナクション @ Zepp Tokyo
彼らの現時点での最新アルバム『kikUUiki』(汽空域)を具現化したような巨大な渦がスクリーンに投射されると、岡崎のオリエンタルなシンセラインから「ラララ」のシンガロングが巻き起こった“潮”で、オーディエンスを大海へと誘っていく。そこからはゆったりとフロアをチルさせた“ワード”、山口の70年代的な日本のフォークの意匠が弾け、岩寺基晴のギターが激しくドライヴする“フクロウ”、ノスタルジックなシンセが重層的に折り重なる深海のダンス・ナンバー“シーラカンスと僕”。そして続く“あめふら”ではバックのスクリーンに、バンドのアンサンブルに合わせて、音を形どった円や線が、白い画用紙に絵を描くように差し込まれ、やがてスクリーンいっぱいに水が流し込まれていく。スクリーンのうごめくアートと、バンド・サウンドがゆっくりと融解しシンクロしていった。後のMCで山口も話していたように、これは学校の視聴覚室にあるOHPの手法を利用したオイル・アートと呼ばれるもの。その手作業から同じフォームは二度と再現できないものであり、演出一つとってもサカナクションの「ライブ」が感じられる一幕であった。

そして、このツアーで初披露され、すでにそのタイトルがファンの間で話題となっている7月20日リリースの新曲“『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』”がここでプレイされた。同曲は、“ナイトフィッシングイズグッド”や“目が明く藍色”といったサカナ組曲のハイライトをいきなりガツンと頭に持ってきたような新機軸のアンセムだ。それでいて、ただアンセミックというわけではなく、突如ブレイクに差し込まれる岡崎のミニマルなピアノの旋律、分厚いコーラス、緩急豊かなビート――ブレイクごとにドラスティックに音の密度を変容させるお家芸の展開力、とはまた別の角度から光が当てられている。にしても、このバンドは一体いくつアンセムを生み出せば気が済むのだろう?しかも一曲生まれる度にバンドの新たなアンセムとして更新されるのではなく、その一つ一つどれもがバンドの歴史、ひいては日本のロックにおいて、異なる色彩と破壊力をもって屹立している。やはりこの山口一郎という男の才気には、改めて驚嘆するほかない。あまりに壮大で未体験なサウンドスケープを前に、曲序盤のオーディエンスは(もちろん僕も)圧倒され、その不可逆性から立ち尽くすしかなかったが、徐々に突き上がる拳の数は増え、一体感を増して巨大なうねりとなって楽曲が浸透していく様は今夜のハイライトだった。

サカナクション @ Zepp Tokyo
そして終盤へ向かっては、“ホーリーダンス”を皮切りに速射砲的にダンス・ナンバーを畳み掛けられていった。ステージ上が再びスモークで覆い尽くされると、ステージ最前列に5人全員がクラフトワークのようにずらっと一列に横並びし、シンセやリズムマシンを操り、
“montage~マレーシア32”へ雪崩れこんでいく。キックはタイトでアタック強めの完全なダンス・ミュージック仕様に変貌し、ノイズやレーザーが乱れ飛ぶ中で鮮やかに駆け抜けるエレクトロ・ハウス。これはいい!5人の目にはゴーグルが装着され、本来の楽器は何一つ持たず、完全な別バンドといってもいいたたずまいで、バンド本来のフォーマットから大胆に逸脱するパフォーマンス。その勢いのままに“ルーキー”へ。焦燥感と浮遊感の境界線を揺らぐシンセと山口のボーカルに、岩寺と草刈愛美(B)がプリミティヴな太鼓を鳴らす。オーディエンスは、これまでのダンスで体内に蓄積したエモーションとフラストレーションを、今度はどでかいシンガロングという形で解放していく。この“ホーリーダンス”~“ルーキー”の流れは機械的なエレクトロニクスと人力的なバンドのダイナミズムが結実した素晴らしいものだった。機械的だろうと人力的だろうと、人間の生が宿った肉体的な表現行為ということに変わりはない。その両方を程よくブレンドさせたバンドは他にもいる。けれど、サカナクションはその両方を同じ度合いで、同じベクトルで極めようとしている。だからこそ、そこの異なる表現方法が交錯し、1つのエンターテインメントとして表出させる瞬間を観た時に僕はいつもゾクゾクする。これがサカナクションなのだ、と。
サカナクション @ Zepp Tokyo

フロアが歓喜のoiコールに沸いた“アルクアラウンド”、そしてラストの“アイデンティティ”。オーディエンスの日々の感情や不安をまるまる受け止めて光り輝く大海原に投げ出していくような高揚感。もはや鉄板となったアンセミックな流れで、満員のフロアは山口の歌と、アグレッシヴなエレクトロとハード・エッジなロックが絡み合うサウンドに手を叩き、シンガロングし、拳を突き上げて踊る。《嘆いて 嘆いて》とか《どうして》とか《アイデンティティがない 生まれない》とか内省の極みとも言えそうなフレーズを、オーディエンスが自らのアンセムとして受け止め、笑顔で謳歌し踊っている光景は、サカナクションにしかない圧巻のクライマックスであった。

アンコールのMCでは、山口の口から、すでにRO69のニュースでも報じられているように(→http://ro69.jp/news/detail/53811)、秋のツアーが発表され(東京公演はなんと幕張メッセ!)、チケットはニュー・シングル購入者を対照に先行予約実施(山口いわく、ビクターお得意のシリアル・ナンバーで)、さらに7月中旬にはスマートフォン用公式サイトのオープン(これは有料。でもお宝コンテンツがいっぱい)、がそれぞれアナウンスされた。そして山口は、このサカナクションのただでさえ規格外なライブを、極上のエンターテイメント空間に仕上げた「チーム・サカナクション」に感謝の言葉を述べる。満員のオーディエンスから、温かい拍手が送られた。その他、メンバー紹介&各メンバーからのひとこと(ドラムス江島が、山口の誘導により無理矢理1コーラス歌ってしまったコーナーも)やグッズ紹介(主に全く売れないトートバッグについて)、最後にこの日集まったオーディエンスに感謝を語り、“ネイティブダンサー”、“三日月サンセット”をプレイ。ラストはサカナクション流のダンス交響曲“目が明く藍色”で、壮大なサウンドスケープを描いて幕を閉じた。

おそらくサカナクション、そして山口は、震災を含むこの数ヶ月の間に再び深海の底へと潜り、この時代に音楽を鳴らす理由、その何かを掴んだのだろう。山口が“目が明く藍色”の前にMCで語った一節――「時代を歌っていきたい」。この言葉の重みと、彼らの高い志から産み落とされる生の感情にまみれたエンターテインメントと一点の狂いもなく結実し、胸に熱いものが絶えず込み上げてくる最高のステージだった。(古川純基)

<セットリスト>
1.OPENING
2.インナーワールド
3.セントレイ
4.アドベンチャー
5.表参道26時
6.Klee
7.潮
8.ワード
9.フクロウ
10.シーラカンスと僕
11.あめふら
12.『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』
13.ホーリーダンス
14.montage~マレーシア32
15.ルーキー
16.アルクアラウンド
17.アイデンティティ

ENCORE
18.ネイティブダンサー
19.三日月サンセット
20.目が明く藍色
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