アッパーな「非日常」としてのエンターテインメント空間を作って誰も彼もをアゲ倒して終わり、というライブをやることは、そう難しいものじゃない。だが、そこにあるのはあくまで普段の生活とはかけ離れたものであり、ライブが終わった瞬間に魔法が解けたように現実へ放り出される虚脱感と常にセットになっている。が、くるりが一貫して鳴らしてきたのはまさにその「日常」であり「生活」の温度感そのものであり、僕らが日々の人生をどれだけ喜びや驚きや不思議に満ちた時間として送ることができるか、ということを体現する表現だった。だからこそ、岸田の歌詞と楽曲は常に「シンプル」と「マジカル」の両方を極限まで追求してきた。アンニュイな暮らしの奥底に覗かせる「親父の慈愛」が山内のエレキ・シタールの和やかな音色と響き合う“目玉のおやじ”やスロウ・ファンク・ブルース“コンバット・ダンス”、「この巨大な日本武道館を、今から極上のぬるま湯にしてみせます!」と笑いを誘って流れ込んだ“温泉”、穏やかなミドル・テンポの中でコードワークが心をざわめかせる“麦茶”……などなど『言葉にならない〜』の楽曲群、それを最高の形で具現化するべく今回編み出した岸田/佐藤/BoBo/山内のフォーマットは、くるりが築き上げてきた世界観の高純度結晶とも言うべきものだ。聴き手に何も強要することなく、誰1人置き去りにすることなく、彼らはじっくり確実に会場丸ごと(もしかしたら聴き手の日常丸ごと)ポップの彼方へと連れていってくれる――そんな感激に満ちた磁場が、序盤からすでに日本武道館のでっかい空間に広がっていた。
「みなさんこんばんは、くるりです!」という挨拶とともに、2階席のステージ袖までいっぱいに入った観客に親しげに手を振ってみせたり、「えー、日本武道館で……ポカリスエットを飲んでいます。おいし!」とか「くるりはですね、今年で結成15周年でございます。そんな節目をですね、ツアーならびに日本武道館公演で飾れるとは、誰が予想したでしょう? なんということでしょう!」とおどけてみせたり、さすがに4度目ともなるとこの大舞台でも岸田は至って自然体。小型カメラをつけたギター/ベースを構えて「ここからはくるりのテクニカル・ショウ!」と洋楽メタル・バンドばりのカメラ・アングルで“青い空”を披露するなど、ロック男子マインド炸裂の自由闊達な遊び心を覗かせているのも嬉しい。「武道館でやりたかった曲をやります!」という岸田の言葉とともに披露したのは“東京レレレのレ”。祭囃子と沖縄音階と岸田の笛ソロとメンバーのソロ回しが一体になって武道館の中を踊り回るような、爽快なひとときだった。「最後に1曲……」という岸田の声に「えー!」と終わりを惜しむ嘆息が広がるのを「……やるよん!」と軽やかに受け止めて、歓喜のクライマックスへつなげていく。最高だ。
正味1時間半ほどの本編を終え、アンコール……の前に行われた佐藤の告知&物販グッズ紹介の間も、ステージには新たな機材がセッティングされていく。マイク3本、鍵盤、パーカッション・セット。で、アンコールの曲が進むごとにゲスト・ミュージシャンが1組ずつ演奏に加わっていく、という展開。まずは男女混声コーラス・チーム=ザ・サスペンダーズが、続いてキーボード=世武裕子が、最後にパーカッション=たなかゆうじが加わり、ついには総勢9人編成の大所帯に。グランド・フィナーレを飾ったのは、「ぴっかぴかの新曲やります!」と岸田が言った通り、是枝裕和監督の新作映画『奇跡』のために書き下ろされた新曲、その名も“奇跡”。アコギの柔らかな響きから、ティンパニが雄々しく空気を揺さぶる壮大なサウンドスケープが広がっていって……終了。アルバム『言葉にならない〜』の究極形と同時に、「次」へのビジョンの断片まで堂々と提示してみせた、実に意欲的なアクトだった。そして――佐藤の告知コーナーの中で、『京都音楽博覧会2011 IN 梅小路公園』を9月23日(金・祝)に開催することも発表された。武道館の外は冷たい雨がパラついていたが、その寒さすら心地好く感じるくらいに、この日のくるりが発していたヴァイブはあったかく、力強く、いつまでも胸に残った。(高橋智樹)