オーウェン・パレット @ 原宿アストロホール

オーウェン・パレット @ 原宿アストロホール
オーウェン・パレット @ 原宿アストロホール
オーウェン・パレット @ 原宿アストロホール
オーウェン・パレット @ 原宿アストロホール - pics by Yuko Suzukipics by Yuko Suzuki
これまでにアーケイド・ファイア、グリズリー・ベア、ラスト・シャドウ・パペッツ、ミーカといったアーティストの作品で、ストリングス・アレンジを手がけてきたカナダ・トロント出身のマルチ・ミュージシャン、オーウェン・パレット。昨年までは「ファイナル・ファンタジー」名義で活動してきた彼だが、最新作『ハートランド』のリリースを期に改名(?)、自身の本名でリスタートしたわけだが、その彼の初の来日ツアーが実現。12月18日原宿アストロホールは、その記念すべき最初の夜となった。

クリスマスまで1週間の表参道を灯すイルミネーションに目もくれず、集まったオーディエンスで会場はソールド・アウト。初めて目撃するインディー界の貴公子を前に緊張の度合いは……と思いきや、そんなことはなかった。カップルも目立った観客は、固唾を飲んで待機ではなく、なごやかな雰囲気でオーウェンの登場を待っていた。というか、これから起こることへの素直なワクワク感といったほうが正しいか。なにしろ、ステージには1本のマイクとエレクトロニクス、だけなのである。オーウェン・パレットは、ほんとうに一人なんだ、ということの実感が、レコードでさんざん聴いてきた音との飛距離に思いを走らせる。

19時きっかりに客電が落ち、ステージ後方に設置されたスクリーンに映像が映し出される(この映像、白い四角のブロックが配列しては消えていくという至極単純なもので、その後わかるのだけど、特に演奏と同期するわけでもなく、終わるまでそれだけ、だった。ミニマル! というか、逆に笑った)。プレスの効いた白いシャツをきちんと着たオーウェンが登場。手にはヴァイオリン。髪型は……いい匂いのしてきそうな七三分け。前髪ちょい長し。一言「ドーモ!」と言って演奏がスタート。

ヴァイオリンの弦を弓でギュインとこすると、しなやかで、けれど力強いあの音が会場いっぱいに広がる。ひとしきり弾くと、そのフレーズが後方でリピート、合間に機材をいじってリズムを加え、また弦を爪弾き、またその音が重なり……、という具合に、サウンドのレイヤーが幾重にも重なっていく。その大いなる流れにさまざまな色を落とすように、オーウェンのボーカルが別のメロディーを足していく。おお。これがオーウェン・パレットなのか。静かなどよめきのような空気がオーディエンスから発せられているのがわかる。

かといって、オーウェンの動きがせわしないかというとそんなことはなく、これがまあなんと優雅なことか。無駄な動作が皆無というか、弓を振り落ろしたその流れで歌に入り、伸ばした指先でリズムの音色をちょいと変える、そんな感じ。オーウェンの表情も少しも乱れることなく(というか、乱れるのは前髪なのだけど、それを絶妙のタイミングでさらっとかきあげるから、これがまたエレガント!という)、しなやかに、美しい。結果、見ているだけで惚れ惚れとするミルフィーユが皿に載せられたみたいな軽い驚きをもたらす音のタペストリーに、観客はいつのまにか包まれ、最初の音が鳴ったときとはまったく異なる場所へと連れ去られていたことにまた驚くのである。

過去の曲から最新作『ハートランド』の曲を織り交ぜながら、パフォーマンスは続く。「Midnight Directives」「Keep The Dog Quiet」といったアルバムの楽曲は、やはり演目の白眉となる。あるときはヴァイオリンをウクレレのように持ち替えて弦を鳴らしながら、あるときは自身のコーラスをサウンド・エフェクトに利用しながら、身の回りにある少ない機材(と自分)のポテンシャルを最大限に引き出して、構造的にはミニマルな音楽はまったく正反対にどこまでも繊細にどこまでも遠く広がっていく。ひとつのクライマックスは「Lewis Takes Off His Shirt」で、その発せられた音のハーモニーは、まるでそこに大人数の楽団がいるかのように、観客を吹き飛ばしてしまった。

しかるに、そこにいるのはオーウェン・パレット一人、である。だからそれは、何かマジックを見せられているような感覚に陥る。こんな音が鳴っているのに、一人。ピンポン玉がコップから消えるように、コインがトランプの山を通り抜けてしまうように、マジックなのである。だから、曲が終わると、観客は我に帰ったように、きょとんとしてしまう。だまされたような気分になる。でもそれは、ちっとも嫌な思いじゃない。こういうことが実現してしまったのだということへの、そしてそれが目の前の一人の人間によって為されたことなのだという、うまくいえないが、うれしさのようなものだ。

だからだろうか、オーウェンはかならずといっていいほど、曲が終わると同時に、「ふふっ」と笑うのである。「できた!」なのか「うまくいった」なのか「よかったでしょ?」なのか「また騙された?」なのか、とにかく、その「ふふっ」がいい。

一人の人間がひとつの音から始めて、終いにはさまざまな音が生命のように入り乱れるポリフォニックな世界を現出させるオーウェン・パレットとは、「物語」にほかならない。「物語」は、現代においては、捨てられ、忘れられ、追いやられたものだ。意識的なインディー・ミュージシャンたちは、特にここ数年、そうした「物語」の奪還を企図してきた。荒廃したブッシュ時代のアメリカではアーケイド・ファイアやグリズリー・ベアなどが、単純なロック回帰しか起こらなくなったイギリスではアークティック・モンキーズ(そしてラスト・シャドウ・パペッツ)らが、崩れ落ちて冷たくなってしまった世界で、温かみのある「物語」を模索した。

そうしたミュージシャンたちが、オーウェン・パレットを招聘する理由は、だからそこにある。オーウェン・パレットには、「物語」があるのだ。彼のマジックは、そのために必要な「仕掛け」なのである。そして、その「仕掛け」に心地よく掛けられたわれわれは、温かく、ユーモラスで、しかし、示唆的なその内実を、胸に刻んで明日に向かうのである。

アンコールではCaribou「Odessa」も演奏した。12月20日月曜日は大阪、鰻谷SUNSUIでも行われる。(宮嵜広司)
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