奥田民生「ひとりカンタビレ」 @ 渋谷パルコ劇場

3月15日の初日の模様をここでもお伝えした、「奥田民生が1人で弾き1人で叩き1人で歌う公開多重録音プレミアム・レコーディング・ライブ」こと「ひとりカンタビレ」の全国ツアー。今日はその追加公演にして5本目:東京・渋谷のパルコ劇場公演。ミュージシャンが心血注ぎ全身全霊傾ける行為であるがゆえに、これまでほとんどのアーティストがスタジオという密室の中で秘密裏に保ってきた「レコーディング」という作業をステージの上に持ってくるのみならず、「ビール飲んだりつまみ食ったりしながら気軽に見物していただいて結構です」と完全ディスクロージャーを実現してしまった民生。「1ヵ所で1曲レコーディングを完了して、録ったらその夜のうちに配信開始」というスピード感も含め、前代未聞づくしのツアーだ。

開演予定時間=18:00の前からステージでセッティングに動き回っていた民生。開演時間を過ぎてまだぞろぞろ客席を歩き回っている観客に「何時だと思ってるんだー。早く入ってこーい」とぼやいては、手元の缶ビールをぐびり。「ビールは後で暇な時に買えますんで。っていうか、暇な時だらけなんで(笑)」。ちなみにこの日、初日の様子と大きく異なっていたのは、(1)固定の椅子席の会場であるため、客席におつまみ系の乾きもののお菓子や煮物カウンターが設置できず、映画のようにみんなが民生の一挙手一投足を終始じっとり見物するハメになったこと、(2)レコーディングに使っていたソフト=ProToolsがバージョン・アップされていたこと。(1)については「基本的に、あんまり見られると気が散ってできないんで」とこのライブの趣旨を自分で否定するような愚痴を言っていて可笑しかった。そして(2)。実はこれが後に、この1日の民生の緊張感を大きく左右していくことになる。

「今日はわりと暗い曲を……」「かったるいんで、覚悟してください!」「出入り自由なんで。ロビーでいちゃついたりしてても大丈夫なんで」と冗談めかしつつ、「ギロ(パーカッション)は時間かかるんで、さっき入れときました! あ、見たかった? 趣旨が違う? いや、ほら、こんな感じで……」とギロをこすってみせたりしつつ、エンジニア・宮島哲博氏とともにいざレコーディング開始。ギロのリズムに合わせて、まずはドラムから録音。BPM=100くらいの、「民生ミドル」とでも呼びたい十八番のミドル・テンポで繰り出される、ルーズなハイハットが特徴的な8ビート。民生、いたってリラックス・モード。ドラムは一発OK!

続いては、買ったばかりのエピフォンのベースをプレイ。「間違えた! ちきしょー!」とか地団駄踏みつつも、幾度かのパンチ・イン(部分的な録り直し)を経て、15分ほどで終了。18:44、次はギター。3本の音を重ねます、1本目は中学レベルの簡単なコードで……という民生の説明があった途端に、あろうことかProToolsのトラブルで作業続行不能に。「ピンチ! トイレ休憩!」。それまで余裕綽々だった民生の表情にも、さすがに焦りの色が混じる。あわや最初からレコーディングやり直しか?と思いきや、「なおった! びっくりした! 今、ドラムもベースも(データが)いなくなっちゃたんすよ。今日、カープが8-0で負けてるから、そのせいじゃねえか?」。……。19:05再開。以降、民生と観客との間で、1行程ごとに「保存!」が合い言葉となる。

1本目のギター(コード)は黒のセミアコをフェンダーのアンプで、2本目(アルペジオ系)はエピフォンのギターをマグナトーンのオールド・アンプで鳴らし、最後はレスポールにテープ・エコー(アナログ・テープを使ったディレイ)をかませてイントロやソロ・フレーズなどを奏でる民生。1本ギターのトラックが増えるごとに、奥田民生ならではのシンプルかつ豊潤な音楽世界をアメリカン・ブルース・ロック直系の乾いたサウンドに昇華した、独特の音像が浮かび上がってくる。細かなデジタル編集のテクもちょちょいのちょいと見せつつ、19:39、ギターがほぼ録音終了。「ちょっとトイレ行っていい? 5分! (さっきのProToolsのトラブルから)動揺しっぱなしなのよ!」。休憩。

イントロのドラム・カウントなどいらない音をミュートし、イントロに逆回転ギター音を足し、ギターまで録り終わったのが19:58。「やべえ、酔っ払ってきた!」と言いながら、今度はタンバリン。「タンバリンってのは、軽く見られがちですけど、これをバンドの中でちゃんとやるのは難しいのよ」という民生の言葉に、「難しいのよ、ほんと!」と客席からリアクションが。声の主は、民生やPUFFYのサポート・ワークでもお馴染みのドラマー=しーたかさんこと古田たかし。民生「僕の中では、さっきのギターより8割増しぐらいで難しいんですけど……」。タンバリンのテイク、ものの5分で終了。

リード・ボーカルは練習1回、本番1回、後半録り直し1回、1コーラス目のサビ録り直し2回。男女の恋愛と音楽を禅問答的な言葉の中に編み上げた歌詞が露になり、コーラス2本(部分的に3本)が足されることで、その世界はさらに広がる。日本屈指のソングライターである民生のマジック=楽曲のタネが、こうやって目の前で明かされているにもかかわらず……いや、明かされることによって逆に、その魔術性がさらに高まって聴こえる。音楽は誰にでも「録る」ことはできるが、無数のコード進行とメロディの中からたった1つを選び取って、さらにその楽曲に音楽としてのポピュラリティをまとわせることは、誰にだってできることじゃない――ということを、その音が静かに、しかし確かに物語っている。

コーラスのテイクをチェックした民生、「うん、じょうずだ」と満足げ。さらにボーカル・トラック全体をタバコふかしながら確認。「どうしましょう! できちゃいました!」という声に、この日一番の拍手! この時点で開演から3時間が過ぎている。最終的なバランス調整などの作業を行い、21:19、いよいよ完成形の披露。タイトルは“音のない音”。「くりかえしのくりかえし 体をからめ重なる妄想」とか「飴色の音色」とかいうフレーズに、ジャズ/ブルース/ソウル/ロックンロールといった言葉が混ざり合ながら、聴き手を音楽と愛情の神秘の奥底へとゆっくり誘うような、滋味あふれる名曲。「ありがとうございました!」と一礼する民生。惜しみない喝采の嵐! 21:33、民生の最後の言葉は「おっと、保存!」だった。

5月23日・石川EIGHT HALL公演まで全10公演。「誰もがなりたいミュージシャン/ソングライター」の代表格である民生が「誰も取って代わることのできないミュージシャン/ソングライター」であることを自ら証明しながら、配信というデジタル・フォーマットの中に体温とリアリティをありったけ注入してみせる、奇跡的な試み。「全部終わったらCDとかにしようかと思ってるんで」と民生は話していた。それは間違いなく、2010年という時代の音楽の在り方を民生独自の角度から批評する作品になるはずだ。(高橋智樹)
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