Good Dog Happy Men @ 新宿ロフト

Good Dog Happy Men @ 新宿ロフト
Good Dog Happy Men @ 新宿ロフト
新宿ロフトプレゼンツ、タワーレコードがサポートの、Good Dog Happy Menの対バン企画ライブ。今後この対バンライブをシリーズ化して、ここロフトで続けていくそうです(と、最後のMCで門田が言っていた)。
今回の対バン相手は、ザ・ジェッジジョンソン。打ち込みを使ったバンド・サウンド、というあのスタイルが、どんどん「足し算」の域を超えて「掛け算」みたいなことになっている、そんなバンドの現状がよくわかるライブだった。
あの、音の情報量が多すぎて、音の密度がやたら濃くて、聴いていると頭がわーってなる感じ。で、そのわーってなる感じの中に、怖さと気持ちよさが渦巻いている感じが、場を支配していた。
そもそも、エレクトロ入っていたり、ダンス・ミュージックぽかったりするあのサウンド・スタイルは、今の海外の一部のバンドとリンクしているし、それらと同時進行なんだけど、その同時進行のしかたが、なんというか、リスナーとしてリアルタイムの洋楽が好きで、それを取り入れました、という感じじゃない。自分たちで長年独自にやってきて、作り上げてきたものが、結果的に今海外で起きていることとリンクしていた、そういうような、血肉化した、地に足のついた、「強い」感じのそれなのです。
まだこのバンドを知らない人、観たことがないという人に、教えたくなるステージだった。

続いてGood Dog Happy Men。門田本人も「新生Good Dog Happy Men」と言っていたが、メンバー2名が脱退し、サポートが2名入り、前の「ボーカル&ギター、ベース、ドラム、パーカッション(確かパート名はそうだったけど実質はドラム2人だと思う、あれは)」という、4人編成のバンドとしてはちょっと変わったフォーメーションから、「ボーカル&ギター、ギター、ベース、ドラム」というオーソドックスな形へとチェンジしたわけで、その分出す音もオーソドックスになるかと思ったら、逆だった。もっと独自なことになっていた。つくづく、こんな曲を書いて演奏して歌うバンド、どこにもいない。
門田が表現している世界観が独特だとか、各メンバーのやたら「ツボがわかってる」演奏がバンドが個性的だとか、そういうのもあるんだけど、そもそもそれ以前に、もっと物理的に、音楽的にあまりにもオリジナルだ、このバンド。

つまりですね。自由だとか何やってもいいとか言いながら、やっぱりある程度、フォーマットと「型」が決まっているのが、ロックでありポップ・ミュージックです。言うまでもないが。まず、ギターとベースとドラムと歌で表現する、というのがフォーマットの決め事なわけだし、楽曲ってたいていイントロ→Aメロ→Bメロ→サビ→間奏、それで3分から5分の間、というのが「型」の決め事である。なんでそんな「型」が必要なのかというと、聴く方とやる方がそれが好きだったり、だからその型の中でやった方が聴き手に伝わりやすかったりするからなわけだが、明らかにその「型」を逸脱しているのだ、Good Dog Happy Menの楽曲って。
いや、「明らかに」じゃない。ちゃんとイントロもAメロもサビもある。あるんだけど、曲の構成はそういう形になっているんだけど、「Aメロって普通こういうもの」「サビってこういうふうに盛り上げる感じ」という定石を、ことごとく裏切っていくのです。「えっ今のAメロ?」「今のサビ?」という感じなのだ。だから、聴いていると今曲のどのあたりなのかがわからなくなるし、どこへ連れていかれるのかわからなくなるのです。で、その「わからなさ」がライブになると、よけいクリアに浮き彫りになるのです。

なんでそういうことになるのか。まず、ロック・バンドが、曲を作ってアレンジをして演奏するということは、前述のような「型」に、自分が表現したいことや伝えたいことをあてはめていくということでもある。曲のサイズが3分半だから、それで伝えきれるようにしないと、とか。ここのAメロ、のっけられる文字数が35文字だから、その中に言葉を詰め込まないと、とか。というのをきれいに無視して、言いたいことがある間、表現したい音がある間、曲が続いて、言い切ったら、表現しきったら、曲が終わる。そうやって曲を書き、音楽を作っている感じなのだ、Good Dog Happy Menの場合。
いや、実際はどうか知りません。知りませんが、僕はそういうふうに解釈した。で、こんな音楽体験、ほんとに新鮮だし、ほんとに他じゃできないなあ、と改めて思った。一見、極めてオーソドックスなロック・バンドなのに。ロックって、やる奴によっては、まだ全然新しいことやれるんだなあ、とかまで思ってしまった。

あともうひとつ。そういうものでありながら、まったく奇をてらった感じがしないのもすごい。門田は、ごく自然でごくあたりまえのことをやっている意識しか持っていないと思う。人に確認するまでもなく、「だって音楽ってそういうもんじゃん」と思っていると思う。だから、もし以上の文章を読んでも、下手すると、何のことを言われているのかピンとこないと思う。要は、作為のオリジナリティではなく、本物だということだ。おもしろかった。(兵庫慎司)
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