インタヴュー

──まず、この『AIR JAM』、それからハイスタ再結成っていうことに関して、健さんの中でどういう考えの変化があったのか。

「まず、ハイスタのメンバーとも離れ離れになってずいぶん時間が経ってしまって。いずれやりたいっていう気持ちは3人それぞれ持っていたと思うんですけども、完全にきっかけを失ってたんですね。あと僕にはメンバーに対しての個人的な感情もすごくあったり、特に難ちゃん(難波章浩)に対して。震災前は、あいつは一生許さねえと思ってたんです、僕。なので、震災前から彼は『AIR JAM』を開催したいって僕にいろんなアプローチしてきたけど、全部断ったんですね。それは無下に断るんじゃなくて、やっぱ自分の中で理屈が通らないから、ひとつひとつ丁寧に断っていったんですけれども。もしハイ・スタンダードが再び動くんだったら、それは話は別だけれどもそれ以外で絡むことはしたくないなって。ちょうど震災の直前によく連絡取ってたんですけど、その時点でも突っぱねてたというか。で、震災があって。誰もが考えるじゃないですか、世の中に対して何ができるのかなって。自分の中でもPIZZA OF DEATH・横山健よりもみんなを喜ばせられるもの、サプライズさせられるものはハイスタだったんですね。で、その時に、難ちゃんだけは許さねえっていう気持ち、ただの男の決断として思ってたようなものが……なんだろうなあ、今このタイミングで許さなかったらきっともうないよっていうのを震災から教えてもらって。そう、僕すっごい、すっごいしつこい奴なんですね。だから一生許さないこともできた。でもほんと、ライヴ中にも言ったけど、大袈裟に言うと日本のロックファンのために、やるなら今しかねえなと思って」

──でも結果、その悩みはステージをやっても解消されなかったという。

「うん。やったから逆に悩んじゃったんですよ」

──それはどうして?

「何がいいんだと思いましたもん、横浜のステージ上で。もし僕がお客さんの立場で、ブルーハーツがオリジナルメンバーでやってくれたとしたら、どんなに演奏がヘロヘロでも、メンバーの体型が変わっていても、やっぱり泣きますよ。でも自分がその対象になると嘘つけないんですよね。この3人組に、熱狂できる何があるのよって、思いましたもん。全然リアルじゃないのに――ある意味今になってみたらリアルだとは思いますけど、ただあん時はそこまで理解できてなかったんで。『な~にがよ』って思いました」

──だから難波くんが、ハイスタという生き物のタイミングとして「今動かそう」って言ったのは、ハイスタを再結成させて、『AIR JAM』をやることには、ちゃんと意味があるんだっていうことを理屈ではなく、体で予感していたのかもしれない。

「ああ。もしかしたらそうかもしれないですね」

──どっちかっていうと健さんは、理屈っぽいから(笑)。

「そうですね。実は僕が一番厄介なんです(笑)。……でも厄介なのは美しいじゃないですか(笑)。って自分では思います。だから難ちゃんと仲の悪い時期があったり、いろんな口論をしたり、ハイ・スタンダードの再始動についても、いろんな意見の食い違いがあったけれど、それも全部ひとつのストーリーだねって、今はそう思えるんです」

──それは2回目の東北での『AIR JAM』を終えてから?

「僕はそうですね。そこにはポイントがあって、1回目と2回目って実はやってることは、そんなに変わんないじゃないですか? ただ2回目は物理的に被災地の近くでやれたっていう当初の念願が叶ったんですね。だから横浜は僕にとってはそんなに必然じゃなかったんです。あれはスピード感を求めて、周りの欲求にも答える形でやった。でも2012のほうは、これをやったらきっと自分は、人の役に立てるだろうっていう思いを持ってやれたので。あと横浜までは、メンバーみんな曲を覚えるので精一杯だったんですよ。だからバンドのテイを実は成してなかったんですね。でも2012までの間に継続的にスタジオに入って、バンドに戻っていった。楽器持ってスタジオに集まって、それぞれの家庭や子供の話をしたり、そういう時間を持てたんですよ。だから2012は、古い曲をやっているけれども、バンドで出れたと思うんです。しかもその間に、2012が終わっても続けていこう、続けるんだったら新曲書こうって、そういう話をしたんですね。それが自分の中でものすごく大きくて。そんな人前で聴かせられるような新曲なんて1曲もできてないですけど、たま~に月一ぐらいでスタジオ入るんです。『AIR JAM』終わってからも。これだったら……自分のことを卑下しないでいいって。90年代の曲ばっかりやって、都合のいい時だけ出てきてっていうんじゃない、この先にも俺たち何かあるよって、そう思えたんですね」

──でも他のバンドを見ていても、そんなこと思わないでしょ?

「そうなんです。新曲なんてどうでもいい、いいから昔の曲をやれって思うじゃないですか。でも自分がやってることはそうなんですよ。AC/DCとか長~いキャリアがあるバンド、もちろん新譜を買うけど、それをライヴでやること期待してないですもんね。ローリング・ストーンズしかりで、フーもそうだし」

──でもやってる本人は、そういうことじゃないんだね。

「そうなんですよねえ」

──だって「Ken Bandでやってきたことを台無しにしちゃったんじゃないかと思った」とまで言ってるからね。横浜のステージを降りた直後だよ。

「そうですね、うん」

──そこから東北を終えたあとの、あの晴れやかな心境への変化っていう、これは一体なんだろう?っていうのが、このドキュメンタリーの大きなポイントだと思って。そこには本人にしか掴み取れない何かがあって、ロックのマジックを感じるんだよね。

「うんうん。でも僕、なんでそこまでややこしくてシビアになるかっていうと、やっぱり自分はパンクスだからだと思うんですよ。自分に課したルールは守る掟があるんですよ」

──周りから「いやいやいや、これはいいんだよ」って言われれば言われるほど、「いや、俺の中では違う」と。

「(笑)そうそう」

──まさに横浜のステージを降りた瞬間って、そういう心境だったんですね。

「もう寂しかったですね、あの時は」

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