
1 いきなり挫折。デモテープ、届かず
――「プレイング・マネージャーに訊く!」という企画で、栄えある最初のゲストを、ROSE RECORDS代表取締役、曽我部恵一さんにお願いしました。
曽我部:どうも、おつかれさまです。
――アーティストが自らレーベルを運営したり、マネージメントを経営したりするという、いわゆるDo it yourselfな方々に、これまでの歩み、方針、秘訣、思想などをうかがっていこうという、そういう企画でございます。
曽我部:はい、よろしくお願いします。
――まず、曽我部さんはもともと、サニーデイ・サービスというバンドをやっておられて、そのバンドはいわゆるメジャーのレコード会社と契約をして、作品をリリースしていたと。
曽我部:まあでも、メジャーっていっても、中間っすよね、メジャーとインディの。流通は自社じゃなかったから、だから制作会社兼レコード会社というか、うん。
――そもそもアマチュアの頃は、音楽活動をしていくことについて、どういうふうなビジョンを持っていたんでしょうか。プロ志向だったんですか?
曽我部:う~ん、もちろんその、メジャー・デビューって言葉があるから、そこはアマチュアとしては目指してたけど。でも、ちょうど90年代のその真ん中ぐらいだったので、ちっちゃいインディ・レーベルが、乱立してる時期だったんですよ。のちにエスカレーター・レコーズになるレーベルを、仲くん(仲真史)がレコード屋さんやりながら、やってたりとか。そういう、レーベルってほんとに誰でも作れるんだなっていうところの、結構出発点の頃だと思うんですよ、日本のね。
――サニーデイも最初は、インディでリリースしてましたよね。
曽我部:してる、してる。だから、そういうとこから作っていったのよ、まずは。
――アンダーフラワー・レコードでしたっけ?
曽我部:アンダーフラワー系列のプッシュバイクっていうレーベルがあって、そのレーベルから出たんだけど、最初は。で、もちろん自分たちで練習スタジオ予約して、自腹でレコーディングして。それを、そのインディ・レーベルがプレスして、流通してくれるっていうシステム。
――そのレーベルからは、どういうふうに話がきたんですか?
曽我部:それはね、友達づてで、「出さない?」みたいな話だったの。そのレーベルに、デモテープが行ったのかな。で、「出さない?」みたいに言われて、「いや、出す出す」みたいな。わりと、出すことをやりたい時だから。
――でも、それと同時だったか、それより前だったか、すべてのメジャーに音を送ったっていう話を、昔インタビューできいたことがあるんですけど。
曽我部:送った、送った。デモテープね。それで、送って、あのー、1週間ぐらい経って、ほとんど戻ってきたの、切手代が足りなくて。
――はははは。料金不足?
曽我部:うん。で、それが、一番まず最初の挫折で。メジャーデビューとか言ってる以前に、日本のその郵便のさ、価格がわかってないわけじゃですか(笑)。で、自分たちがものすごい情けないのと、プラスその、デモテープの出来うんぬんの前のレベルで、「レコード会社の人って、そんな不足分も出してくんないんだ?」っていう落胆が。この、メジャー・メーカーに対する。それで、「ちょっとこれ、メジャーデビューうんぬんとかっていう場合じゃないぞ」っていうのは、自分たちであった。すごい落ち込んだ。
そしたら、そのインディで、「自分たちがお金払わなきゃいけないけど、出さない?」みたいな話があって、「ああ、出す出す」ってなって。ジャケットもさ、当時まだマックがないから、レタリングシートでやるの。レタリングシートって、若い子はわかんないんだけど、文房具屋さんで、透明の、ちょっと固めのセロファンの紙っていうか、プラスチックみたいなのにアルファベットが付着してるわけよ。で、それを上からなんか固いものでこすると、それがその下の台紙なり紙なりにくっつくっていう。だからABCDっていう活字が、写植屋さんに頼まなくても打てるっていうのがあって、そういうもんでジャケット作ったりしてたよ、うん。それをCD工場に渡して印刷してもらったり。
――……あ、ごめんなさい、思い出した。ちょっと話が前後しちゃいますが、その料金不足で戻ってきたそのデモテープのうちの一本は、ロッキング・オンにも送ったって。
曽我部:え、本当!?
――って、昔インタビューした時言ってたよ、曽我部くん。で、それも戻ってきたって。
曽我部:ひどいよね、兵庫さん(笑)。
――俺じゃないです(笑)。俺の記憶にはないです。
曽我部:でも、兵庫さんの可能性もありますからね、ほんと。時代的には。
――(笑)。あともうひとつ思い出したのは、その時、ポニーキャニオンだけは――。
曽我部:そうそう、ポニーキャニオンだけ、不足分払って受け取ってくれたらしくて。その数年後、もうデビューしてだいぶ経ってから、それが出てきて。ポニーキャニオンのディレクターさんに、「こないだデモテープの整理してたら、サニーデイ・サービスっていうのが出てきたんですけど、違いますよね?」って言われて。「違います」って言いました(笑)。
2 「究極の渋谷系」だった頃
――はははは。で、そのインディ・リリースしたCDだけど、いきなり結構いい反応だったですよね。HMV渋谷店の売り上げチャートで、上位に入ったりして。
曽我部:そうそうそう、だから渋谷系全盛期で、HMV渋谷に、まぁ、太田さんていう有名なバイヤーさんがいて。
――はい。今はタワーレコードにいらっしゃいますね。
曽我部:うん、今タワー。その人の独断で、ものすごいマイナーなものとかも、渋谷店で一面で展開したりとかしてたの。まだ、そういう、商売として余裕があったんでしょうね、CD業界は。で、そういう余裕の中で、僕らのことも知って、もうとんでもなく推してくれて。そしたらまあ、試聴機に延々と入ってるから、聴いて買ってくれる人もいて。それでそこのHMV渋谷店のチャートの、3位かなんかに入ったの。
――すごいですね。じゃあ、すごく気に入ってくれたんだ。
曽我部:そうそう、うん。「いいね!」って言われて、なんかアツいコメントカードっていうか、ポップも書いてくれて。だから、聴きに行きましたよ、自分の音楽が試聴機に入ってるの。で、感動した。
――そうやっていい展開になると、「俺たちこのままいけるんじゃない?」みたいな感じにはならない?
曽我部:これでたぶん、メジャーから、すごい争奪戦になるなと思って。「やばいよ?」と、メンバーにも言ってて。「ちょっと色々考えないと、契約金だけでは決められないし、また失敗したらあれだし。もう、おそらく全社来るだろうから、やばいよ」って言ってたら、どこからも来なかった。
――(笑)。
曽我部:1社もだよ? 何にもだよ?
――渋谷のHMVで3位なのにね。
曽我部:うん、びっくりした。そういうもんなんだね。それで、ひょっとして、レーベルの人が、メジャーからの話を止めてんじゃないかって。「おかしい!」とか言って。電話して、「あのー、そういう話来てませんか?」とかきいたら、「全然来てないよ」とか言われて(笑)。「おっかしいなあ」って。そこがまあ、また第二の挫折だったよね、うん。「なんで?」って。だって3位だよ? 他はEvery Little Thingとかだよ?
――はははは。
曽我部:インディ・チャートではないからさ。「おかしいな」とか言ってて。でもそれ、よくよく考えたらさ、渋谷系の文化とか、HMVの渋谷っていうのは、もうほんとユース・カルチャーなわけよ。だから、業界までその現象が波及してないの。その、若者が自分たちのために買ってて3位だから、ちょっと違うんだよね、やっぱね。「業界中が注目!」みたいになんないわけよ、今思うと。まあそういうこともあって。じゃあ、アルバムをもう1枚、同じレーベルから作ろうか、みたいな感じで。で、作りましたね。
――それは売れました?
曽我部:それは、まあそこそこですね。前のと同じくらいかな。でもほんと、1000枚とか2000枚とかっていうレベルの話ですけどね。
――それもやっぱり渋谷店レベルだ?
曽我部:そうです、そうです。だからその、マニアックなインディものを扱うようなお店のみを中心として。
――じゃあ当時、あてが外れつつある感じでした?
曽我部:かなりあてが外れてましたね。
――でもその後、かつてYMOや矢野顕子も在籍したレコード会社、ミディと契約してメジャー・デビューするわけなんですけども。そこはどういうふうに決まったんでしょうか?
曽我部:それはね、僕らの前にエレクトリック・グラス・バルーンっていうバンドがいて。今、SUGIURUMNって名前でDJになってる杉浦くんがやってたバンドで、彼らは鳴り物入りでデビューしたわけ、その渋谷系の文化の中で。
――そんな華々しかったっけ?
曽我部:そうなのよ。日本の、こうマンチェ・ギター・バンドみたいな……マンチェって言ってもわかんないか、若い子。こう、なんか、UKと同時代的に進行する日本のギター・バンドだっていうふうに言われながら、ミディと契約してデビューしたわけ。誰も何にも知らなかったのに。
で、そういうのがあったから、ミディっていう会社のことは知ってたのね。で、たまたまなんか、僕が呼ばれて遊びに行ったイベントで、その杉浦くんたちのバンドが出てて、ディレクターさんと――渡辺さんって人だけど、そこで会って、自分たちがインディで出してたCDを渡したんですよ。そしたら、すぐ気に入ってくれて、翌日電話かかってきて。「一緒にやろう」と。
――次の日?
曽我部:次の日。
――すぐ契約だ、みたいな話になったんですか?
曽我部:すぐ契約だって話になりましたね、基本的に。
――そこで、レコード会社はミディに決まって、マネージメント・オフィスっていうのはあったんでしょうか?
曽我部:ないですね。当時は、レコード会社預かりっていう。その、まあ、マネージメントが付かずにやるっていうので。
3 デビュー、そしてアマチュアリズムに根ざしたメジャー活動
――なるほど。それでまあ、デビューして、人気も出て、しっかりリリースも続けて、ライブも……最初はあんまりやってなかったけど、だんだん順調に増えていって。という形で活動が回っていくわけなんですが、当時、メジャーでやってて人気もあるバンドのわりには、かなり自由にやれていたように見えてたんですけども。
曽我部:それは本当、そうですね。だから自分たちも、そのことは自覚してたし。結局ミディっていうレコード会社が、社員が数人の小さい会社だったから。もう、社長もすぐそこにいるわけですよ。だから直接、「あの、社長、こういうの作りたいんですけど」みたいな。で、毎晩一緒に飲みにいったりとか。そういう、事務所兼レコード会社みたいなとこだったから。一応、事務所機能も別会社として、同じとこにあったけど。そういう、なんかすごいアットホームな所で。
だから、「いやあ、次は何万枚売ろうね」とかそういうことはなく、「いいアルバム作ってもっと売れたいね、もっとライブもやりたいね」とか、そういうすごい前向きなクリエイティヴィティに根ざした進歩のしかたを、みんな話したりしてたから。すごい自由にやれましたね。
――普通メジャーのレコード会社と契約すると、何年以内に何枚リリースしなきゃいけない、っていう約束になるもんなんですけど、そういうのは?
曽我部:そういうのはまったくないですね。だから結局、レコード会社っていうのは、システマティックに、アーティストにスケジューリングなり、枚数、売上げ、その金銭的なものなりを課していて。それを消化して、うまくアーティストを動かしていくのがマネージメント会社、事務所っていうものになってくるけど、それも全部が一緒だったから、すごいアーティスト寄りのレコード会社だった、っていうことだと思うんですよね。
だから、メジャーでやってる友達のバンドと会うと、「いいよねえ」とか言ってたよ。「うちなんか、次シングル作んなきゃいけなくて、曲も何もないのに来週レコーディングだけ決まってる」とかね。でも、それが普通だっていうのもわかってたんだけど。だから、そのー、在籍してる間に、移籍の話とかね。別の、すごい大きいレコード会社から「うちに来ないか」とか。ミディと契約更新の時にも、更新する前に、一回いろんなレコード会社の人の話をきいたんだけど。
でも、僕らはやっぱり、その、お金とかよりも、その自分たちのクリエイティヴィティと、自分たちがこういうふうに音楽をやってるんだっていうスタイルが結構好きだったから。でっかいバンドになっていくっていうよりも、自分たちのその、いい意味で学生気分っていうか、学生のバンドなんだっていうところを維持したくって、それで移籍せずにミディに残った、とかもありました。
だからお金も小規模だし、会社も小規模で、宣伝力も全然弱かったりするんだけど、そういうことよりも、アットホームな空気感で音楽を作れるってことを優先してました。
――でも、やっぱり契約の更新時期になると、大手が来てたんだね。
曽我部:来る来る来る。すっごい焼肉おごってもらったりとか(笑)。
――(笑)。「うちに来ればこれだけ契約金出せるよ?」とか?
曽我部:うんうん。とか、「スタジオ作ってあげるよ」とか、そういういろんな打診は、もちろんあるし。で、まあ、事務所っていうのは、途中からサニーデイはヨロシタミュージックっていうところの所属になって。それ、ミディの系列会社で、場所も同じ部屋にあって、スタッフも一緒にいて。だから、新しいレコード会社が来ても、その会社と事務所の話になんないわけですよ。
――ああ、そうか。本人たち直になっちゃうんだね。
曽我部:うん。だからそれは、向こうの社長さんとかも困っただろうな、と思って。若い子を前に、「じゃあ、スタジオ作ってやろうか」とかね(笑)。
でも、大企業っていうのは、そういうところに重きを置いて動いてるもんなんだな、っていうのをわかったし、自分たちがそこを求めてないんだなってこともわかったし。
――でも、ちょっとぐらいグラッとこなかった? 言ってしまえば、目の前に現ナマを積まれるようなもんでしょ?
曽我部:
うんうん。でも、あんまり……まあ、だからそれが、自分の「俺、音楽好きだな、ほんと」みたいなとこですよね。そっちの方を優先しちゃうというか、いろいろ話きいても、やっぱり魅力的に思えないわけですよ、それが。だからしょうがないよね、みたいな。
――じゃあやっぱり、ミディみたいなアットホームで小規模な形っていうのは、今思うとかなり理想的ではあったんですか?
曽我部:理想的ではあった。だから、社員が7,8人ぐらいの規模で、よくあそこまでやったなぁっていうのはあります。まあ、親会社があったとはいえ、流通は別のとこだったとはいえ。
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