「うた」とひとつになりたい男、
伊東歌詞太郎を追え!

伊東歌詞太郎がセカンドアルバム『二律背反』をリリースした。ニコニコ動画の「歌ってみた」カテゴリーから登場してきた人気歌い手であり、その支持を受け見事にヒットしているわけだが、大切なのは、この作品が「人気曲を人気歌い手が歌った」作品ではなく、あくまで伊東歌詞太郎という人間、表現者の「生き様」が綴られた作品だということだ。全15曲中、彼自身が手掛けたオリジナル曲が8曲収められ、そしてそのメッセージが本作の肝になっている。
歌詞太郎本人は「それゆえに不安だった」と話してくれたが、これは伊東歌詞太郎という、時代のカルチャーが生んだシンガーが踏み出した、大きな意味を持った一歩であると思う。まっすぐな言葉がポンポン飛び出す、気持ちのいいインタヴューになった。ぜひとも読んでみてもらいたい。

インタヴュー=小栁大輔

必ず曲のなかに正解があるんじゃないかってずっと考えてて、じゃあその正解を出すためには自分のエゴって一番いらないんじゃないかって思うんですよ

──これは本当にいい作品だと思いました。

「自分でも『アレンジ、こんなふうにしたいんだけど』っていろいろやり取りして『こうなりました』っていう時に僕もちょっとびっくりしました。『伊東歌詞太郎が作った』ってなってますけど『いろいろな方との共同作業だなあ』と思っておりまして」

──前作は「歌ってみた」というカテゴリーから登場した人気者として出した1枚目でもあって。当然人気曲を歌わなきゃいけなかったし、ある意味ベースがちゃんとあったわけですよね。そのなかに、1曲オリジナル曲があったんだけども、今回はオリジナルの比率がぐっと上がってるよね。前作からの約1年2ヶ月、どういう考え方の変遷があったんでしょう?

「2枚目はオリジナルを増やそうと思ってたのは確かなんですよ。ただ、半分をオリジナルにするという気持ちは一切なくて、たとえば『3曲にしよう』とか『多くて4曲にしよう』っていう構想が自分のなかにあったんですよ。でも去年、7、8、9、10と4ヶ月間ほぼ家に帰らないで毎日ライヴハウスか路上でライヴをやっていって、特に路上ライヴでは、終わったあと最後のひとりまで握手をして『ありがとう』を言って、もらった手紙は必ず読むっていうことをくり返していたら、自分でも経験したことがない状態になったんですよ。メロディと歌詞が、訳がわからないぐらいぶわ~っ!と湧いてきて、その時俺は眠りたくないぐらい――っていうか眠れないんですよ。だって、寝てる間に新しいメロディが浮かんできちゃったら悔しいし、で、ずっと心臓がドキドキしてるし、血流もすごくいいからとくに疲れることもなく」

──ははは、ヤバい。

「そんな状態経験したことがなくて。でも逆に曲ができないっていう悩み――なんでかっていうと、曲がワーッて浮かんできたらそれをボイスレコーダーに入れて、あとで家に帰ってそれをコードに起こしてラララで1コーラス作るっていう行程までするんですけども。でもコードを起こしてる最中に新しい曲が本当に生まれてくるんですよ。『こんなに楽しい毎日はないな』っていう気持ちでぶわ~!って曲を作った結果、この『二律背反』にここまでオリジナル曲が入ってしまったっていう」

──それは象徴的な出来事ですね。

「僕もこうなると思ってなかったからこそ、『半分自分の作った曲が入る』っていうことで、『今まで伊東歌詞太郎を聴いてくれてた人がどういうふうに自分のことを捉えるんだろう』っていう不安がすごく大きくなったっていうのは確かです」

──溢れたものではあったけれども、「果たして自分のことを支えてくれたファンやリスナーはこれをほんとに聴きたいと思ってくれるだろうか」っていう。

「そう、それが一番怖かったですね。今でもすごく怖いし、仕上がった時に『ここまでの作品に仕上がったんだから出してもいい』とは思ったんですけど『どう捉えられるか?』っていうことは未だに不安です」

──自分が作った曲は自分の中から出てきたものだから自分にものすごく近いものだと思うんだよね。それを歌う自分のヴォーカルは客観的に見てどうですか? 変わりました?

「歌を歌ってる時の感覚は変わらないんですよ。今日もリハーサルだったんですけど、生で歌う――それがライヴハウスであれ、路上であれ、ここ1年でその感覚が全部ひとつになってきつつあると思ってるんですよ。もっと言ったら"鳩"とか"君が代"とかそういうものでも同じなんじゃないかなって。最近はひとつにまとまりつつある感覚を持ってます」

──それはどういうことだろうね。

「悲しい曲があったら『悲しい思いを伝えたい』と考えて、たとえば自分の身に起こった一番悲しいことを思い出して、歌詞に通じるような自分の近い経験を頭の中に思い描いて歌を歌うと思うんですけど、それは不正解なんじゃないかと思ってるんですよ。曲って必ず曲のなかに正解があるんじゃないかってずっと考えてて、その正解を出すためには自分のエゴが一番いらないんじゃないかって思うんですよ。なので、無心で歌うことがすごく大切なんじゃないかなって思うんですね。だから『すごくいい歌が歌えたなあ』とか『今よかったんじゃないか』っていう時って大抵どうやって歌ってたか自分で思い出せないんですよ。レコーディングでバーッて歌って『今いいテイクだったんじゃないかな』って思う時って何がよかったのかわかんないんですよ。で、あとでプレイバックで聴く時に『やっぱりいいテイクだなあ』っていうのはすぐわかるんですよ、それは。なぜなら余計な雑念が入らなかったというか、無心で歌うことができたっていうのはすぐ自分でもわかるので。なので、曲毎に『こうやって歌おう』とか一切考えたことはなくて、『無心で歌う』ってことが大切だと自分では思ってるので、どんな曲でもそれに近付こうとしつつあるというか」

100人中100人がいいと思う作品って『そんなもの無理だ』ってみんな言うじゃないですか。俺はそんなことないと思ってて、芸術には正解があると思ってるんですよ

──そのスタンスは自分が作った曲であろうと変わらない?

「変わらないんです。一致してくるようになってきて、だから日々歌を歌うことがどんどん楽しくなってるというか。10月、11月は曲作りでそういう経験をして、年末に風邪をひいたんです。でも、23、24、25、26日ってイベントとかで必ず毎日歌わなくちゃいけなかったんですよ。で、『風邪ひいてるなあ。でも歌わなきゃなあ』って歌ったら、すごく調子良くて。体はだるくて熱もあるのに喉だけ頑張っててくれてるみたいな時があって。初めは『最近調子いいな』と思ってたんですけど、調子って絶対長く続かないじゃないですか。それが3ヶ月ぐらい続いた時に『あ、これ調子じゃないじゃないか』と思ったんですよ。で、大阪で『唯心縁起』というイベントをさせていただいて、そのライヴでめちゃめちゃいい感じに歌うことができたら、自分のなかで『調子』って思うのやめよう、これが『自分』になったんだなっていうふうに思おうとしたら、もう、大阪は最高に幸せで(笑)。というか、そのライヴのリハーサルが最早人生で一番いい歌が歌えたリハーサル。『うわ、こんな感じか』『こんなのもあるんだ』っていうふうに。今だから歌を歌うことによって人生で初めての経験をさせてもらってるような感じがあるんですよね。だからすごい楽しくて」

──今までも歌が好きだから歌ってたわけじゃないですか。で、歌うと普通に生活してるのとは違う自分らしさというか、たかだか5分の時間が5分じゃなくなるわけじゃない? その感覚は今までもずーっと持ってたんだけど、今はまた違うゾーンみたいなものに入ったわけだよね。

「そう、新しい感覚を知ることができる」

──その新しい感覚についてもう少しヒントをもらうと、どういう言葉になりますか?

「えっと、手がかりをもっと知ることができるっていうのかな。芸術だと思うんです、音楽って。100人中100人がいいと思う作品があるとはいっても、『そんなもの無理だ』ってみんな言うじゃないですか。俺はそんなことないと思ってて、芸術には正解があると思ってるんですよ。正解が出せれば100人中100人が『これはいいね』って言ってもらえるものってあると思うんですよ。その正解を出したいんですよ(笑)。これは何年も前から思ってることなんだけど、誰かに教えてもらえることでもないし、自分で手探りで一歩一歩進んでいくしかないなと思ってたんですけど、その一歩が明確になる感覚と言ったらいいんでしょうか。っていう感じです(笑)」

──とてもおもしろい話だね。逆に不安にならない? つまり、「この状態も明日になったら終わってるかもしれない」っていう。

「考えたことなかったです」

──じゃあ考えないほうがいい(笑)。

「わかりました(笑)」

──ということはかれこれ半年ぐらいこういう状態であるという。

「そうですね。曲はわりとすぐに終わったんすけど、『もう出てこないな』みたいな(笑)、『夏のインプットは全部出し尽くしちゃったのかなあ』みたいな。それで一回凹んだんですけど、そのあと歌がきて、歌は今でも続いてて、『このままどこまでも行きたいなあ』っていう気持ちですね」

俺自身は全然変わってないつもりなのに変わったように見えたのか、もしくは気付かず自分が変わってしまったのか

──この作品をレコーディングした時っていうのはどういう状態だったの?

「おっかなびっくりの状態だったんですよ。『これ調子だよなあ? でも調子って悪くなるから、これいつまで続いてくれるんだろう。レコーディング終わるまで続いたらいいな』と思ってたんですけど、『いやいやそんな甘くないでしょ』みたいな気持ちもありつつでしたね。で、2月終わりから3月の頭ぐらいで『これは自分だと思ったほうがいい』『これが自分になったんだと思ったほうがいい』と思ってやってます」

──今の話はこの作品を聴くとすごくよくわかるんです。つまり、この作品で歌詞太郎くんは歌詞をいっぱい書いてるわけですよ。曲もいっぱい書いてるわけですよね。そのすべてがひと言でいうと「素直」。すごく素直。

「ああ」

──で、僕は前作にあったオリジナル曲"rebirthday"を聴いた時はこう思ったんですよ、「素直じゃないなあ」と。もっとソフトに歌えばいいのにきつい言葉で歌っているところがいっぱいある。《血のにじむ足を踏み出して》とか。だから「素直になれないんだな」と思ったんです。これは僕の推測ですけど、きっとあの時の歌詞太郎くんはものすごく悩んだんだと思う。

「悩んでましたね」

──一人歩きしていく人気や評判やパブリックイメージと自分自身との間にギャップがあって、そこにある種のフラストレーションを感じていたんではないかなあと。

「確かに不安を感じてたんですけど、実はあの時、かつてバンドをやっていた時の自分とバンドをやめてからの自分っていうもの――『自分』に悩むのではなく、『人間』に悩んでたんですよ。バンドをやっていた時にいたわずかなファンの人と、一緒に頑張っていた人たちが俺のことを悪く言う、とか(笑)。俺自身は全然変わってないつもりなのに変わったように見えたのか、もしくは気付かず自分が変わってしまったのか。俺『歌が好き』って気持ちは物心ついた時からずっと変わってない――今でもそうですけど、『変わってない』と思ってたからこそ、悩んじゃったんですよね(笑)。『この世界は汚いんじゃないか』って人のせいにもしたし、自分を疑ってみたりとか、すごいブレたというか、簡単にいうと悩んだんですね。それは間違いなく悩んでました」

──目の前にある世界の像と自分のなかの世界の像が全然合ってない感じがするんだよね。

「曲を作り続けて毎日歌って、『歌が好きだー!』ってライヴをやってっていうのは変わってないから、もっと好意的に捉えてもらえるのかなあって思ってたんですけど、『あら、そんなにきちゃいます?』ぐらいな感じで結構露骨だったから。2013年の初めとかは悩んでたんすよね。『やっぱり曲に出ちゃうし、歌に出ちゃうんだなあ』って思いました。でもこれがまた不思議で、今年に入ってからみんな再び連絡くれるようになって『ライヴに行きたいんだけどチケットどうやって取ればいいの?』『完売しちゃってるから関係者で入ってくれよ』って言って観てもらって『また観たい』って言ってくれて。俺は『嬉しいな』って、『この変化を楽しんじゃおう』って思ってるんですけどね」

──それは、ここ最近の伊東歌詞太郎の歌と佇まいがどんどん濾過されているように見えたんだろうね。つまり「俺はここでこういうふうに戦っているんだ」っていうリベンジ心じゃなくて、ピュアな気持ちで歌っているふうに見えたんじゃないかな。

「ああ、戦ってる気持ちになっちゃったんですよね、2013年の時は(笑)。それは間違いなくて、でもどこにいても何やってても『歌を歌うのは楽しいな』っていうのは変わらなかったから、確かにちょっとずつその気持ちだけでやれるようになってる気はします。濾過されてきてるのかもしれない」

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