時代が生んだ声と音

モーゼス・サムニー『グレー』
発売中
ALBUM  ※ロッキング・オン5月号での掲載後、邦題が変更となりました。
モーゼス・サムニー グレー

前号取材時に、2月と5月に分けた本作の変則的リリースの理由を尋ねたところ「とても長く密度の濃い、かつかなりヘヴィな作品だから聴き手にもまず第一部と付き合ってもらい、その上でパート2を聴き始めてもらえたらな、と。今回の音楽はある種実験的な内容だし、だったら発表方式もちょっと実験的なものにするべきだろうと思った」と答えてくれたモーゼス。冗談まじりで「僕にとっての『キル・ビルVol.1&2』かも」と話していたが、確かにこれは音楽的にもメッセージ面でもじっくり向き合うに値する大作。全体像が明らかになったところで、5月号に続き改めてレビューさせてもらう。

再び本人の発言を引用すれば「陰と陽の関係にある」というダブル・アルバム。第一部はインディ~オルタナおよびエレクトロのエッジを大胆に援用し聴き手の耳と頭にチャレンジを仕掛ける作風で、ダーティー・プロジェクターズボン・イヴェールに通じる凝った楽曲構成とコラージュに感嘆しつつ、それをなんなく乗りこなすモーゼスの歌い手としての天賦の才にも打たれる。最新型のアート・ポップ②③④⑤⑨はそのエキサイティングな賜物であり、スウェーデンのジャズ・トリオをサンプリングした⑦、ネオ・ソウルの詩人ジル・スコットとバーチャル共演した本歌取の⑧(タイトルの「ジルとジャック」はマザー・グース童謡への目配せでもある)といった創意も冴える。ポップ・カルチャーの推進力のひとつである部族主義(=ジャンルへの忠誠心)は無数のプラットフォームから音楽を吸収できるネット世代の中では薄くなる一方だが、モーゼスのように音楽性が重複した場から表現を発するどこにも所属しないポリマスなアーティストは、その柔軟で境界線なきモダンな感性を体現している。

第二部は前作『aromanticism』を彷彿させるフォーク/カントリー//ソウル/ジャズ/ゴスペルを基盤とするトラッドな質感を軸に、恋愛の痛みからアイデンティティの葛藤に至るパーソナルな内省の数々を赤裸々に綴る。8曲中4曲のタイトルに「ME」が含まれていることからも内向きな「サッド・ボーイの歌」寄りなのは察せられるだろうし(⑰にはその本家であるジェイムス・ブレイクも参加している)、ジェンダーレスなファルセットと共に時にたゆたい、時に飛翔するサウンドは優しく耳を包み込む。ポップなフックに満ちた押しの強い前半に対するいわば引き=癒しのパートと言えるが、本作の主要コラボレーターのひとりであるダニエル・ロパティン(OPN)の今のモードを見事に活かした⑬⑭⑮のエモーショナルでマジカルな美しさやフィナーレ⑲⑳で降り注ぐスピリチュアルな陽光の浄化と、一聴穏やかながらも後半のインパクトは聴くほどにじわじわ沁みてくる。さながらボディ・ブローだ。これだけでも充分に耳福だが、本作は男/女、白/黒、ヘテロ/ホモを始めとするバイナリー思考を起点とするアイデンティティ解釈に疑問を発し「白でも黒でもない」=灰色の第三の中間地点を探るコンセプト作という野心も備えている。そのポイントを増幅すべく楽曲の合間に挟まれるインタールード(ラップ・アルバムでおなじみの手法)には、音楽界に留まらない幅広い交友関係を反映し俳優エズラ・ミラーや作家マイケル・シェイボンら多彩な意見が溶接されている。コーラスも含めて歌のパートはすべてモーゼス自身がこなした本作が、独善的な主観だらけで聴き手を窒息させる危険を回避する仕組みになってもいるのは実にクレバーだ。その中で「本作のテーゼとも言える声明」(モーゼス談)になっているのが⑩のタイエ・セラシ(アフリカ系英国人作家)による力強いモノローグで、彼女は「(ひとつの呼称に縛られず)いくつもの存在になれる、自分に本来備わった権利を私は強く主張する」と語る。人間を複雑で安易に定義できない生き物として捉え、自らの多層性を受け入れると共に他者の多層性も抑圧せず尊重すること――平たく言えば、社会が押し付けてくる「○○らしさ」といった様々なレッテルに縛られず、ありのままの自分を出していくのを恐れるな。こうした流動的でクィアとも形容される非主流な感性の同時代表現者であるフランク・オーシャンパフューム・ジーニアスはもちろん、本号HLに登場したアルカもずばり“ノンバイナリー”なる曲を発表したのは、それだけ新たなルール/意識の切り替えを求める声が強まっている証しではないか? パフューム・ジーニアスもアルカもモーゼスも、MVで肉体をさらけ出して踊りまくっている。そんな彼らは、闘っているのだと思う――自己に内在するしがらみに対して。ヒュ―マンな結びつきの面倒臭さが除菌され失われつつある、奇妙なこの時代に対して。 (坂本麻里子)



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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』7月号に掲載中です。

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モーゼス・サムニー グレー - 『rockin'on』2020年7月号『rockin'on』2020年7月号
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