最近の「ロック」の取り扱われ方について書きました(コラム激刊!山崎より転載)

最近の「ロック」の取り扱われ方について書きました(コラム激刊!山崎より転載)
最近、ロックという言葉をあんまり耳にしなくなった。

ロックという言葉がロック・アーティストのインタヴューの中ですらあんまり出てこなくなった。
今も「ロック・アーティスト」という言葉を使ったが、それすら最近では「ロック」を取って、「アーティスト」という言葉を使うのが普通になった。
「アーティスト」だけだとロック・アーティストなのかメイクアップ・アーティストなのか盆栽アーティストなのかよくわからんからこれまでのように「ロック・アーティスト」と呼べばいいんじゃないかと僕などは思うのだが、どうやら「ロック」は付けたくないらしい。
ちなみに映像やゲームを作る人はアーティストではなくて「クリエーター」になるのだけど、これもいまいち理由がよくわからない。アーティストとクリエーター、区別のポイントはなんだろう。
 

話はそれたが、ロックという言葉が最近ハブられているという話だ。
ロック・バンドも、今では「バンド」って言うしね。
「ロック・バンド」をただ省略して「バンド」になったのではなくて、明らかに「ロック」は意図的に外されたんだよね。
きっと、ない方がなにかと都合がいいんだ。
言葉って、そういうふうにして変わっていくんだよね。

ロックという言葉がつくと、ロックが好きじゃない人に聴いてもらえなくなるんじゃないかという不安、もしくはマーケティング的な計算が働いているんでしょう。
無意識なのか深層心理なのかはわからないけれども、それが一番大きな理由だ。
以前は自ら進んで「ロック・アーティスト」「ロック・ミュージシャン」「ロック・バンド」という言葉を掲げていた人たちが、音楽性も活動方針もまったく変わらないのに言葉だけ修正しようとするのは、戦略的な理由があるとしか考えられない。まさに「修正」だ。
最近のビジネス用語として大流行の「最適化を図る」というやつだ。
「アーティスト」や「バンド」が今の音楽業界で最適化を図るには、どうやらまず「ロック」という言葉を削除すればいいらしい。
 

昔、エルレガーデンのアルバムの解説書の原稿で僕が「ポップ」という言葉を使ったら細美武士から「ポップじゃなくてロックだ」というクレームが付いたり、チャットモンチーを初めて紹介する記事に「ポップ」という言葉を使ったら「ポップじゃなくてロック・バンドや」という意味の文句を後で言われたり、10年ほど前にはそんなこともあったが、今はすっかりなくなった。
むしろ逆で、若手「ロック・バンド」のインタヴューで僕が「ロック」という言葉を使ったら、「僕たちにはロックという意識はないです」というような返しをされることが圧倒的に多くなった。

まあそのことに関して特になんの感慨もないし、言葉や概念は時代とともにどんどん変わっていけばいいし、変わっていくことこそが面白いとも思うのだが、ただ、ひとつだけ思うことがある。

こうやって誰も彼もが「音楽シーン内最適化」を図って、誰も彼もが「ロック」のバッジを胸から外してこっそりゴミ箱に捨てている今という時代、こういう時こそロックはおいしいぞ、と俺は言っておきたい。

誰もロックを名乗ろうとしない時代、誰もロックの物語を体現しようとしない時代、誰もロックの黄金の原理を作動させようとしない時代、誰もロックの美学を表出しようとしない時代、誰もロックの破壊力を試そうとしない時代、そういう時にこそ、ロックは最大限に力を発揮してMAXに機能するのだ、実は。
エルレが出てきた時も、アジカンが出てきた時も、ミッシェル・ガン・エレファントが出てきた時も、イエモンが出てきた時も、ブルーハーツが出てきた時も、ニルヴァーナが出てきた時も、セックス・ピストルズが出てきた時も、実はそうだった。
ロックが時代から舐められた時、そんな時代に思い知らせるかのようにロックは最強の反撃を繰り出してきた。
そういうものなのである。ロックを掲げるなら、まさしく今だと思うぜ。

今月号のエレカシの記事には、ロックという言葉が溢れている。
そしてUNISON SQUARE GARDENのインタヴューの中にも、若手バンドにしてはありえないぐらいロックという言葉が登場する。
ONE OK ROCKのTakaはMCで何度も「ロック・バンド」という言葉を放ち、その言葉を全身で背負っていた。

大歓迎である。この本はロッキング・オン・ジャパンだからね、時代がどうなろうといつだってロックに用があるのだ。(山崎洋一郎)


rockin'on JAPAN 5月号 コラム『激刊!山崎』より加筆・転載
山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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