米津玄師が怪獣を描き続けたわけ、について書きました(JAPANコラム『激刊!山崎』より)

米津玄師が怪獣を描き続けたわけ、について書きました(JAPANコラム『激刊!山崎』より)
 米津玄師の連載「かいじゅうずかん」が今月(ロッキング・オンJAPAN12月号)で突然最終回を迎えてしまいました。
寂しいです。
 「かいじゅうずかん」は、始まった当初はそれほど人気のある連載ではありませんでした。
そもそも音楽雑誌にまるまる1ページ使って怪獣のイラストが掲載される連載なんてなんか変だし、
かわいいキャラとかならともかく不気味な怪獣だし(本当は全員かわいいんだけどね)、
その頃はまだロック雑誌JAPANの多くの読者にとっては「米津玄師って何者?」と思われてた時期だし、馴染むまでに少し時間がかかりました。

 なので、先月号で表紙巻頭を飾り、オリコンの1位にもなってこれまで以上に注目されているこの時期にせっかくの連載が終わってしまうのは正直残念だなあと思います。
 
 でも、この雑誌の米津玄師担当編集者として、そして総編集長として、この連載終了に実はとても納得しています。
と言うよりも、むしろ嬉しい気持ちと感動を覚えています。
なぜなら、今回で「かいじゅうずかん」の連載が終わるということで、米津玄師がこの連載をどれほど大切にしてくれていたか、本気で取り組んでくれたかがよーくわかったからです。
 
この連載を、米津くんはいつも楽しんでくれていました。
レコーディング時期や、取材で忙しそうな時期には、いつも僕が気を使って「もしどうしてもきつかったら休載してもいいからね」と救いの言葉をかけると必ず彼は「いや、この連載は楽しみなんで。どんな怪獣にしようか考えるのも楽しいし、絵を描いてる時も楽しいんです」と言ってくれていました。
実際にそうだったんだと思います。
怪獣を描くことは、米津くんにとって大切な楽しみだったんだと思います。
特に、「人とコミュニケーションするためには普遍的なものを表現しなければならない」と気付いて”サンタマリア”から今作『Bremen』まで歩んできた過程において、
「普遍」からこぼれ落ちる異形の怪獣たちと頭と指先で戯れることは彼にとってとても重要な補完的な創作行為だったのではないかと思います。
 
そして傑作『Bremen』が完成し、リリースされ、チャートの1位になり、そのタイミングで自らの半生を語る2万字インタヴューに臨み、その直後のタイミングで連載の終わりを相談されたのです。
 
 
もう米津玄師は毎月怪獣を生み出す必要を感じなくなったんだと僕は思うのです。
頭の中の怪獣ではなくて、目の前にいる人間とコミュニケーションしていくんだという意志と決意が、彼の中で確信に変わったんだと思うのです。
 
そして、今回の最終回のイラスト原稿が送られてきた時に、僕は本当に感動しました。
 その怪獣の名前は「かいじゅう」で、人間の姿をしています。
かわいくて寂しげな女の子の姿をしています。
そして、「自分がかいじゅうであることを知らずに死んでいく者も多い」と書かれています。
 
米津玄師は怪獣の本質を知り、人間の本質も知り、その上でコミュニケーションを取り合いながら何処かへたどり着こうよ、という旅に出る決意をしたんだと思います。
怪獣と人間を分ける価値基準もない、未来の光景のようで廃墟でもあるような、暗闇のようで光にあふれている、思い出の残像のようだけど何よりも確かな、そんな世界へともう怖れることなく歩き出そうとしているのだと思います。
 
連載が終わるぐらいで大げさじゃないか、と思う人がいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。
アーティストの行為はすべてが表現だと思います。
それが「終わる」ということであっても。
ましてや米津玄師のような本物のアーティストであるならなおさら。
まあ寂しいですけどね。
これまでの連載の単行本化とか、新しい連載とか、これからまた米津くん本人と話せる機会にでも相談したいなと思っています。
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