私たちは何故My Hair is Badに惹かれるのか?――『woman's』を聴いて出会う、私たちそれぞれの「自分」

私たちは何故My Hair is Badに惹かれるのか?――『woman's』を聴いて出会う、私たちそれぞれの「自分」

発語とは、決意だ。本日2016年10月19日(水)にリリースされたMy Hair is Badの新作『woman's』。その発売に先がけて公開されたトップナンバー“告白”のミュージックビデオを観て、そんなことを考えた。2分強という短さの中に押し込められた衝動と疾走感は、推進力のようなエネルギーに満ちていながら、一生分の覚悟を決めたとでも言うような揺るぎなさを感じるし、危うさと粗さが残る歌声にもどこか肝が据わった意思があるのだ。

マイヘアの歌詞にはいつだって、剥き出しの憧れと悔しさが共存している。少しくらい隠してくれてもいいのに、なんて思うことすらある。思ったことを口に出した瞬間、その言葉は誰しもにとっての「本当」になるからだ。裏を返せば、ずっと自分だけの感情として内緒にしておけば後から無かったことにだってできる、ということだが、彼らは決してそれを良しとしない。いずれかなぐり捨てるくらいの憧れなら、悔しさも寂しさも全部引き受けて濁流に飛び込んでいく。嘘にしないのだ。その姿勢は私たちに、ずっと思っていたのに言えなかった何かの存在を思い出させる。例えば、“音楽家になりたくて”でせきを切ったように吐き出す《急に君の前で 君を歌ったら/取り戻せるのだろうか》という台詞のやるせなさ。あるいは、メジャーデビューシングル『時代をあつめて』にも収録された“戦争を知らない大人たち”や今作の“ワーカーインザダークネス”で羅列された言葉数の多さが表す情報量によって立ち上がる鮮烈な情景。椎木知仁(Vo・G)の言葉は、まさに彼自身による自分への宣戦布告そのもののように聴こえるのである。

アルバムのラスト、ひと際ポジティブに響く“また来年になっても”で彼はこう歌う。

《誰でも決意は揺らぎます/育てていくんだ いつまでも》

マイヘアの音楽に誰かの心を受け止める器量はない、と私は思う。ただ発露された感情と、まっすぐなサウンドがそこに在るだけだ。それでも私たちがこのロックバンドをこれでもかと信用してしまうのは、揺らぐことを恐れない固い決意と、それを駆り立たせる強い発語の感覚ゆえなのだろう。私たちは椎木知仁という人間の影に、憧れの自分を見ているのかもしれない。(柴沼千晴)
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