レディオヘッド、サマソニ2016での来日公演は何がそんなに凄かったのか

レディオヘッド、サマソニ2016での来日公演は何がそんなに凄かったのか - (C) Gianfranco Tripodo / Red Bull Content Pool(C) Gianfranco Tripodo / Red Bull Content Pool

◆演奏がひたすら凄かった

今年のサマソニ東京のレディオヘッドは、まずなんと言っても演奏そのものが凄かった。オープニング・ナンバーの“Burn The Witch”の最重要要素と言っても過言ではないオーケストラ・パートを、ジョニーとエドのノイジー&パンキッシュなギターで無理矢理置き換えていく力技のパフォーマンスにまずは驚かされたのだが、その後もグロッケンシュピールの美しい音色を全面にフィーチャーしてメランコリィを果てしなく増幅させていく“Daydreaming”、アルバム音源の緻密モードから5人の各パートが横一線でデットヒートを繰り広げる戦闘モードに変貌を遂げていた“Ful Stop”と、のっけから音が前へ前へとつんのめり、勢いよくこちらに飛び込んできた。

その後もフィルのドラム・イントロのアタックが凄いことになっていた“Reckoner”、助走すっ飛ばして高速回転し始める“The National Anthem”、“Everything In It’s Right Place”と“Idioteque”を雪崩のようなシームレスで繋いで一大スペクタクルに昇華していった本編ラストといい、全編にわたってとにかく思い切りがよく、激しいものはとことん激しく、美しいものはとことん美しく、抑揚のリミッターが麻痺した出音のダイナミズムが支配していた。

思えば「手法」や「手段」について多くの考察がなされてきたのが『キッドA』以降のレディオヘッドだ。しかし今回のサマソニでは映像や装置、機材、セットリストの流れ、それら全てが脇役でしかなかったし、ライヴという一期一会の時間を最高のものにするためには、もはや手法や手段は一切問わない、今ここで鳴っている音、鳴らしている5人のマンパワーが全てであるという確信に満ちたパフォーマンスだったのだ。


◆絶え間ないトムの奇声、あれは一体なんだったのか?

「あれは一体なんだったのか?」と問われれば、「わからん」というのが未だ正直な答えなのだが、ここでは無理矢理なんだったのか考えてみることにする。もともとトム・ヨークのステージ上での挙動不審は今に始まったことではないが、「ンハハハア!ンハンハ!」「ヌウォーン!」などなど、隙あれば奇声を発し続ける今回のMCタイムはこれまでとはレベルが違った。野生?本能?「MCで意味のあることを言ったら負け」とでもいうのか?――しかしそんなMCから一転、曲が始まるとトムの声、その歌唱のあまりの饒舌っぷりには驚愕せざるを得なかった。

ここまでエモーショナルで、自身の感情の昂りを曝け出すことを厭わないトムのヴォーカルは本当に久々だったと思うし、直前までの理解不能な奇声とのコントラストによって、さらに今ここで鳴っている音楽がメッセージの全てであるという、今回のステージを貫く理念のようなものが浮き彫りになったとも言えるだろう。まあ、単純にああやって「ウホウホ!」吠えることが喉を温めるウォーミングアップになっていたのかもしれないが。

ただし、トムの奇声にはファンとのコミュニケーションを拒むというネガティヴな意味は一切なかったと思う。英語MCが奇声もしくは超早口だったのに対し、日本語でのMCは無駄に明瞭で丁寧、定番の「ドウモ」に始まり、「チョットタカイデスネ」と分かりにくい大阪仕込みのジョークを飛ばしてみたり、唐突にジョニーが「キョウハアツイデスネー」と言ってみたりと、それは殆どファンサービスだったと言ってもいいくらいだ。ちなみに奇声の合間にふと正気に戻ったかのようにトムが「フェアリーテイル」と小さく呟き始まった“No Surprises”は感動的だった。


◆感無量のセットリスト、「あっさり」演った“Creep”が意味するもの

サマーソニックを含む今回のツアーは、冒頭5曲、ないし3曲が『ア・ムーン・シェイプト・プール』のトラックリストに沿った流れで固定されていた以外はほぼフリー・フォーム、毎晩プレイする曲が差し替えられ、演奏順もフレキシブルに変わり、『OKコンピューター』、『ザ・ベンズ』期の懐かしのナンバーを挟み込んでいく趣向で話題になっていた。

アルバム音源以上にひしゃげたノイズ・ギターをぶちかました“Airbag”、ナイーヴな叙情を丁寧に紡いだ“No Surprises”、『OK コンピューター』当時のメロディアスなギター・ナンバーとしての魅力を驚くほど素直に再現した“Let Down”と、東京で披露されたオールド・ナンバーの数々は、どれもオーセンティックなギター・ロックの構造の上で鳴らされていたのが印象的だった。『キッドA』以降のレディオヘッドの宿命となっている進化論、ギター/脱ギターの議論に影響されず、本来あるべき姿で堂々とそこにあったと感じたのだ。

日本では13年前ぶりの披露となった“Creep”もまた、恐ろしくあっさりと鳴らされた。13年前のサマソニでの“Creep”は事前にセットリストに載っていなかったし、即興でラストに追加されたサプライズ・ナンバーだった。しかし今回は予めセットリストに載っていて、しかもラスト曲でもない、アンコールの4曲目というフラットなタイミングでの披露となった。直前の“Nude”のしめやかな流れのままに、するっとあのイントロは鳴ったのだ。

ちなみに今回のツアーで彼らは世界各地で“Creep”を複数回演っている。だから今回の東京での“Creep”は超絶レアだったわけでもない。ただし、海外公演では事前のセットリストに他曲のタイトルをダミーで載せておき、それが実は“Creep”だったんです……という回りくどい演出が施されていたのと比べると、最初から明記されていた東京はさらに一段階“Creep”が彼らにとって「普通の曲」に近づいた感がある。バンドの“Creep”に対する長年の拒否感も、そしてそのトラウマを脱し赦すという儀式も、もはや必要とされていなかった。ついにここまで来た、という感慨だ。


◆重荷を下ろし、開き直ったレディオヘッドの現在

前作『ザ・キング・オブ・リムス』と、それを引っさげて2012年のフジ・ロックでのステージは、あらゆる意味で今回のサマソニのそれと対照な内容であったと改めて思う。正面から来る重圧を左右に流していくような滑らかなフォルムと匿名性を持っていた『ザ・キング・オブ・リムス』、グラフィカルに組み上げた照明や装置を余すところなく使い切ってアブストラクトなアートを出現させていたフジのステージ、それは喩えるなら、あまりにも巨大な意味を背負ったレディオヘッドが、その重荷を分散させていこうとしたアルバムであり、ライブだった。それに対して『ア・ムーン・シェイプト・プール』と今回のサマソニのライブは、彼らが自身の肩にのしかかっていたその重荷を遂に下ろし、身軽に、自由になった身体でファイティング・ポーズを取ったアルバムであり、ライブではなかったか。意味よりも実体、今ここに存在する自分たち自身への全幅の信頼が漲る、無茶苦茶ポジティヴなアルバムであり、ライブだったのだ。

それはある意味、ちゃぶ台をひっくり返すような開き直りの行為でもあるけれど、その開き直りこそが圧倒的に正しく、強いライブ体験を生んだことはサマソニのステージが証明したし、何よりレディオヘッドの「これから」を明るく照らす契機になったはずだ。(粉川しの)

SUMMER SONIC 2016
8月21日(日)東京・セットリスト

1. Burn the Witch
2. Daydreaming
3. Decks Dark
4. Desert Island Disk
5. Ful Stop
6. 2+2=5
7. Airbag
8. Reckoner
9. No Surprises
10. Bloom
11. Identikit
12. The Numbers
13. The Gloaming
14. The National Anthem
15. Lotus Flower
16. Everything in Its Right Place
17. Idioteque

[encore]
18. Let Down
19. Present Tense
20. Nude
21. Creep
22. Bodysnatchers
23. Street Spirit (Fade Out)

※写真は『Primavera Sound 2016』時のものです。
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