ロック殿堂入り放送。アドロック、アダム・ヤウクの手紙を読む

ロック殿堂入り放送。アドロック、アダム・ヤウクの手紙を読む

ロックの殿堂が行われた時、ひとつ気になったこととして、ブログでご紹介しましたが、非常に残念なことにその時の悪い予感が当たってしまいました……。
http://ro69.jp/blog/nakamura/66740

それで5月5日にアメリカでそのロックの殿堂がようやく放送されました。アダム・ヤウクが亡くなった翌日というとんでもないタイミングになってしまったわけですが。その中でアドロックが、病気で来られなかったアダム・ヤウクの代わりに手紙を読みました。そして、その前に、マイクDが一言。

「アダム(アドロック)が、アダム・ヤウクからあずかった手紙を読みます。アダム(ヤウク)なしでは、この何もかもが絶対に実現しなかったし、僕らが今みたいな”家族”になることも絶対にありませんでした。アダムはこのスピーチを今日ここに来ているブルックリンのご両親の家で書いたのですが、その家に僕は昔学校が終わったら、毎日通って、僕らの酷いアルバムを作っていました。ご両親があんなことを僕らにやらせてくれたなんて本当に信じられません。どうもありがとうございました」。

そしてアドロックがアダムからの手紙を読みました。
「アダム・ヤウクから読んで欲しいと言われた手紙をあずかってきました。

『僕はこの賞を僕の兄弟であるアダム(アドロック)とマイクに捧げます。僕と一緒に世界中を歩いてくれたふたりに。そして、僕らのバンドに関係したすべての人に。それから、僕らの音楽が何かしらの意味を持った人達へ。この殿堂入りは、僕らのものであるとの同じくらい、あなた達のものでもあるのです。

それからケイト・シュレンバック(ルシャス・ジャクソン)とジョン・ベリー(両オリジナル・メンバー)にも感謝します。100丁目とブロードウェイにあったジョン・ベリーのロフトで、僕らが初めて練習している時、ジョンの父親には『うるさい!止めろ!』とよく怒鳴られたものです。

それから僕の愛する僕を支えてくれた両親へ。僕のブルックリンの実家では、ブルックリンの夏の暑い日に、学校が終わったら練習をしました。窓を大きく開けて近所の人たちに迷惑をかけたものです。

そして、何よりこの名誉を僕の頭が良く美しい愛する妻とかわいい才能のある愛する娘に捧げます。人生をふたりのソウルメイトと過ごすことができる僕以上に恵まれた男はこの世にいません。君達が思っている以上に僕はふたりを愛しています。

ここで感謝すべきすべての人達の名前を挙げたいところですが、あまりにたくさんいて全員の名前を挙げることはできません。でも、言わなくても皆さん分かってくれていますよね。すべての人に愛を捧げます。君の友、アダム・ヤウクより」。

ヤウクが最後に入院したのは、4月14日。この殿堂が行われたのも14日です。アダムがどんな気持ちでこの文を書いたのか、またアドロックがどんな気持ちでこの文を読んだのか、分かりませんが、もしかしたらと思っていたと思うので、とにかく悲しいです。アドロックの喉がからからになっているのと、それでも一言一言噛み締めるよう読んだのがなんとも感動的でした。

しかし、私がここで一番感動したのは、この後に、パフォーマンスがあるのですが、そこでふたりがアダム抜きではステージに立たなかったことです。Kid Rock、RootsのBlack、Travie McCoyなどに完全にパフォーマンスを任せていました。

アドロックもマイクDもそれぞれのスピーチをしました。ふたりともやはりニューヨークが僕らを育ててくれた、と言ったのが、嬉しかったです。

この日の殿堂入りは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズに、ガンズ・アンド・ローゼズ、そのスピーチをしたグリーン・デイのビリー・ジョーなど、他にも感動的な場面はたくさんありましたが、きっとすぐに映像が上がると思うので、その時またご紹介したいと思います。
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