ボウイはまだ数ヶ月生きるつもりで、亡くなる1週間前にヴィスコンティにレコーディングしたいと語ったそう。5曲分のデモがあったそう

ボウイはまだ数ヶ月生きるつもりで、亡くなる1週間前にヴィスコンティにレコーディングしたいと語ったそう。5曲分のデモがあったそう

ローリング・ストーン誌の次号はボウイの追悼号で、トニー・ヴィスコンティが亡くなる前のボウイについて詳細を語っている。
http://www.rollingstone.com/music/news/david-bowie-planned-post-blackstar-album-thought-he-had-few-more-months-20160113

その中で、11月の段階でボウイの体全体に癌が転移しており、もう助からないとは分かっていたものの、まだ数ヶ月は生きると思っていたと、ヴィスコンティが語っている。実際ボウイは、亡くなる1週間前にヴィスコンティにFacetimeで、新たに書いた5曲のデモテープがあるから、スタジオに入りたいと語っていたそう。

「亡くなる1週間前に『★』の続きを作ろうと話していた。もちろん楽しみだったし、その段階では、僕も、そして恐らく彼も、あと数ヶ月は生きると思っていた。当然彼は次のアルバムを作ることを楽しみにしていた。だけど、その電話の後、病気が急激に悪化してしまったのだと思う」

ヴィスコンティは、彼の病気について1年前に『★』のレコーディングをする時に、NYで初めて知ったということ。

「彼は化学療法を終えたばかりで、眉毛も髪の毛もまったくなかった」から、バンドにそれを知らせないのは絶対に無理だったと。

「だけど、僕には個人的にそれを教えてくれた。彼がそれを僕に直接語っている時に、僕は泣き出さずにいられなかった」

しかも、2015年の中頃容態は良くなったらしい。「彼は、すごく前向きだった。化学療法が成功していたから。しかも去年の中頃には、病気がほとんど鎮静していたので、僕はかなり嬉しくなった。彼は、『喜ぶのはまだ早いよ。これからどうなるか分からないから』と言っていたけど。彼は化学療法を続けたから、きっと治ると僕は思っていた。それなのに、11月に突然再発したんだ。しかも体中に転移していた。そこからもう回復はないと分かるくらいに」

ボウイは11月の段階ではすでに『★』のレコーディングを終えていたそう。しかし、それ以前にヴィスコンティは、歌詞やそのトーンに気付き、「なんてずる賢い人だ!これをお別れのアルバムとして作ったんだね」とボウイに言ったそう。ボウイは、ただ笑ったという。

「彼は本当に勇気のある人で、病気があるとは思えないようなエネルギーのある人だった。恐れをまるで見せることがなく、ただただアルバムを作ろうとした」

また、2004年の心臓発作から、18ヶ月前に癌が発覚するまでの間に、ボウイに他の病気があるのではという噂もあったが、ヴィスコンティの知る限りではそれはデマだと思う、とのこと。「もちろん心臓の薬は飲んでいたけど、50代、60代の人達にとって何かしらの薬を飲むのはむしろ当たり前で、それでもみんな長生きするものだから。しかも、2008、9年頃に会った時は、体重もむしろ増えている感じだった。元気になっていたし、血色も良かった」。さらに心臓発作から、2013年の『The Next Day』の間にはボクシングのクラスも取っていたそう。

ボウイが亡くなったと知った時、ヴィスコンティは、ボウイのトリビュートのプロジェクトでツアー中だった。

「月曜日は人生最悪の日だった。それでみんなでツアーを続けるかどうか話し合ったんだけど、結果的には『僕らはミュージシャンで、それが僕らのやることだ。ボウイはツアーを続けることのほうを喜んでくれるはず』と思って、ツアーを続けることにした。実際彼が亡くなってから初めて、昨日トロントでライヴをして、観客は非常に盛り上がって、泣いている人もいたし、笑いながら踊ってくれた人もいた。彼の人生をみんなで認知し、祝福できて最高だった」。
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