2009年ブリット・ポップ終幕

2009年ブリット・ポップ終幕

昨年12月8日、突如発表されたブラー再結成。
2009年7月3日ハイド・パークでの復活ライブ、その5万人のチケットは発売後2分でソールド・アウトし、
すぐさま追加公演の発表、そしてグラストンベリーの大トリへと、
それは、「ブリット・ポップ」がこの2009年の今も、ロック・シーンの中で巨大な何かであることを力ずくで証明した瞬間だった。

しかし、以降、ブラーは新曲をレコーディングするわけでもなく、
グレアムはソロ・ツアーに出て、
アレックスはニュー・オーダー残党に参加し、
おそらくデーモンはゴリラズへと潜伏したのだろう。

大きな何かが突然巻き起こって、それは大きな「?」を残してあっけなく消えていった。
そんな印象である。
ブラーを再結成させることに、どのような意図と意義があったのか、よくわからない。
それはこの、7月3日の模様をビッグ・シンガロングの歓声と25曲の音源でドキュメントした2枚組ライブCDを聴いても見えてこない。
素晴らしい楽曲と怒涛のパフォーマンス。でも、それは何だったんだろう?

再結成、という言葉の持つ意味が、加速度的にインフレを起こしていることは言うまでもないだろう。
かつてはあった(とされる)深遠にして奇跡的な「出来事」はいま、
驚くほどあっさりと、しかも何事もなかったかのように繰り返されている。

そんな「再結成」にとっくの昔に最大の罵りを浴びせたのは、セックス・ピストルズだった。
「再結成」そのものが築き上げる神話性を、ジョン・ライドンはせせら笑った。
ロックの神話性を破壊するために生まれたピストルズがあえて行った「再結成」。
それは、ロックの中でもとりわけ原理主義とされるパンクのオリジネイターによる、
まさに原理主義的な「解体」行為だった。
そしてそれはもちろん、すさまじくアートな行為でもあった。

今回のブラーの「再結成」にも、何か同じようなものを感じる。
そして、ということはつまり、これは「ブラーを終わらせる」ということなのだろう。
夢から覚める/覚まさせる。このかつてと同じようにヴァイタルでポップでセンチメンタルでアイロニカルでインテリジェントなブラーのパフォーマンスを聴いていると、そんな気がしてくる。

それにしても、それほど深い病だったのだろうか、この「ブリット・ポップ」というものは。

それはやはり、当事者にとってみれば当たり前のようにそうだったのだろう。
昨年、新作『ディグ・アウト・ユア・ソウル』をリリースした際のインタビューで、
オアシスのノエル・ギャラガーがこう答えていたのがいまでも印象的だ。
「今回のアルバムは、ブリット・ポップじゃない」
もうあれから何年経ったというのだろう?
病根は、それほど根深かった、としか言い様がない。

2009年は、だから、ようやく「ブリット・ポップ」が終わった年なのだ。
ブラーは再結成して、終わった。
そしてオアシスは、オアシスであり続けるそのステージから降りたのだ。
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