Lyu:Lyu、ツアーファイナル公演を観て思ったこと

Lyu:Lyu、ツアーファイナル公演を観て思ったこと

昨日はLyu:Lyu、「The 1st ”Best of Lyu:Lyu" tour」最終日、恵比寿リキッドルームへ。

バンドの仕上がりが半端じゃなかった。
ソリッドなギターロック、スリーピースのカッコよさ、そしてスリーピースだからこその切迫感とスリル、肉体性。
3人だけでやれることをさらけ出し、全身全霊のコミュニケーションを試みるライヴ。
コヤマはライヴのたびに「この会場にいるひとりひとりと向き合いますので」と語るが、まさにそのとおり、鬼気迫るようなパフォーマンスだった。
こういう本質的な佇まいでライヴをやりぬくバンドを観ると、ロックの役割のひとつはこの抜き差しならないコミュニケーションなのだとあらためて思わされる。

コヤマの書く歌は哀しい。
肯定の歌も思い切り哀しい。
精一杯肯定したいという思い自体が、言いようのない哀しみに根ざしている。
でも、ライヴに行き、目の前で決死のシャウトをする小山を目撃することで、その哀しみは彼ひとりのものではなく、そこにいるみんなのものになる。
哀しみが結び目になる。
だから、Lyu:Lyuのライヴは優しくて、温かい。
この夜もそうだった。
Lyu:Lyuの肯定は、ひとりの人間があがきながらやれる肯定としてあまりに等身大で、何より誠実だ。

COUNTDOWN JAPANもいいライヴをやってくれるはず。
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