フレディ・マーキュリーが死んだ時は僕も死にたかった


★今週末の英紙に、こんな悲痛なブライアン・メイ(クィーン)の最新インタヴューが掲載されていた。

約4年の闘病生活を経た1991年の11月24日、
HIVによる免疫不全が原因で引き起こされた肺炎で亡くなったフレディ・マーキュリー(当時45歳)だが、

ちょうど同じ時期、長期世界ツアーを終えたばかり&自身の父まで亡くしたブライアン・メイは、
「精神面/肉体面の完全なブレイク・ダウン」に陥り、シリアスな鬱病に。

「毎日自宅に閉じこもり今の自分の境遇から完全に切り離された場所に行くこと=死ぬことばかり考えていた」という、、、。

「あの頃の僕は巨大な喪失感に対応できず、傷つき、粉々になっていた。
そのうち自分がシリアスな自殺願望を抱え、鬱状態に突入していることに気付いた。

長年一緒にツアーしてきたバンドのメンバーは、
自分の家族や友達との関係より、常にバンドを優先するマインド・セットが身についてしまうので、
毎日共同活動をしているバンドが自分の精神的な母体になり、メンバー達が文字通り=家族になるんだ。

そしてフレディが死んだ時、
自分にとって精神的な母体だったバンドも、自分の家族だったメンバー達との将来も一気に奪い去られた気分だった。
急に目の前にぽっかり開いた巨大な空洞を見ながら、自分はもう生きたくないと毎日考えていた」。

その後、メイは米アリゾナ州にある「大学とヘルス・ファームと精神病院が合体したようなクリニックに入院し、
徐々に自分を取り戻していった」そうだが、

「フレディが亡くなったとき最もつらかったのは、
フレディの病状を長年隠し続けるために、ずっと世間に対しHIVであることを否定し続けてきたことから、

僕も含めた内輪のメンバー達でさえ『何らかの治療法が見つかる筈だ!』という、あり得ない希望を抱き始めていたことだった。
だからフレディが本当に死んでしまったときのショックは余計大きいものになっていた」という。


HIVの診断を受けた後も作品の制作活動は精力的に続け、

★89年の『The Miracle』や91年の『Innuendo』のレコーディングにも参加した故フレディ・マーキュリーだが、

「”The Show Must Go On”のヴォーカル入れをしていた90年頃のフレディは、スタジオで立っている事もできないほど病状が進んでいた。
僕も『無理しないほうがいいよ』って何度も止めようとしたんだけど、
それを振り切ってヴォーカル・ブースに入ったフレディは、一発で見事なまでのヴォーカル・パフォーマンスをやってのけたんだ」
とも付け加えている。

”The Show Must Go On”というタイトルも合わせ、
稀代のロック・パフォーマー=フレディ・マーキュリーに相応しい果敢なエピソードだ。
死ぬ間際まで微塵もブレない、この表現者としての誇り高さ、人間としての強さ。

この100分の一でもいいから、自分もこんな強さが欲しい、、、。
児島由紀子の「ロンドン通信」の最新記事
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする