内輪が語るジョイ・ディヴィジョンの最期

内輪が語るジョイ・ディヴィジョンの最期

★表紙を見て即買い!してしまった、最新号のUncut。

なんと全11ページ(!)も割いたジョイ・ディヴィジョンの特集記事♪

記事の内容としては、
彼らが2nd&ラスト・アルバム『Closer』を録音し始めた1980年3月→アルバム完成→UKを含む欧州ツアーを再開→初のUSツアーに出る前日=1980年の5月18日にイアン・カーティスが自殺→バンドの終焉。

に至るまでを、ジョイ・ディヴィジョンの元メンバー=バーニーやフッキーやスティーヴンをはじめ、
彼らのジャケ写アート・ワークを手がけてきたデザイナー&ファクトリー人種のピーター・サヴィル、
同じくファクトリー人種&イアンの旧友&著名フォトグラファーでもあるケヴィン・カミンズ、
生前のイアンの数少ない親友の一人だったDurutti Columnのヴィニ・ライリーetc、
の「超内輪/当事者たち」があらゆる角度から肉迫しながら語る。

という、ファンなら一目見て心臓がバクバクしてしまいそうな構成。

特に、ロンドンのBritannia Row Studios(北ロンドンのIslington地区にあるスタジオ。オーナーはピンク・フロイド)におけるレコーディング中のエピソード、
これがどれも超充実していて興味深い。

これまでのジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダー関連のバイオ本etcでは読んだことがなかったような「ええっ!!!」エピソードも、てんこ盛り。

(1)例えば、
彼らが『Closer』を録音していたこのスタジオに、
「ある日バス停からずぶ濡れになって歩いてきたと思われる4人のアイリッシュ・キッズがプロデューサーのマーティン・ハネットを訊ねてきて、
自分達の作品をプロデュースして欲しい、とリクエスト」。

その話し合いを隣のレコーディング・ルームから見ていたのがフッキーで、
「おい、えらく緊張してコチンコチンになった4人のアイリッシュ・キッズがマーティンに仕事を依頼してるぞ。
あんな偏屈プロデューサー、やめときゃいいのに(爆笑)」、
みたいな感じでバーニーやスティーヴンetcと囃しまくった。

この「4人のアイリッシュ・キッズ」というのは、無論公式デビュー直前のU2だったわけですが。
(事実80年5月に英リリースされたU2の2ndシングル”11 O' Clock Tick Tock”はハネットがプロデュースしている)。

こんな裏話を知ったのは、筆者も初めて。


(2)更に、レコーディング中のハネットとバンド側は何度も激しく衝突し、

「”Love will ~”の完成には特に手間取った。
一度などはハネットが一晩中かけて創った最終ヴァージョンをバーニーが『気にいらない』と一蹴。
しかたなく、また全員で明け方までかけて録り直し。

で、やっと完成したので、ハネットを除く他のメンバーはそれぞれの宿泊先に戻って寝ようと思っていた矢先、
今度はハネットが『この最終ヴァージョンは気に入らない。もう一度録り直すべきだ!』と激しく主張(夜通しレコーディングをした後、しかも明け方の4~5時頃ですよ)。

そこでバーニー&ハネット&フッキーの3人はまた激しい口論。
そのあげく、
「先に南ロンドンの宿泊先に帰って寝ていたスティーヴンを誰かが車で駆けつけて叩き起こし、
ベッドから引きずり出すようにして北ロンドンのスタジオまで連れ戻す&再び録り直し(かわいそうな、スティーヴン、、、)」。

なんて場面も数え切れないほどあったという。
(偏屈・北部男どもが意地を張り合うとすぐこうなるんだろうな)。


(3)更には、あの『Closer』のジャケ写(イタリアのジェノヴァにあるアピアーニ家の墓所の写真が使われている)が、
「イアンの自殺」と怖いほどシンクロしていている!点をアルバム発表当事、一部のメディアから批判された件についての、メンバー達の発言も。

バーニーによると、
「あのジャケ写をアート・ワークに使うことは、
レコーディング終了の数ヶ月前『イアンも含めた』メンバー全員のチョイスとして決まっていた。
あれを選んだ時は、その後イアンが自殺するなんて僕ら全員が夢にも思っていなかったし、ジャケ写のプレスもイアンがああなる前に既にあがってきていた。

だから当事、一部のメディアが批判したような『イアンの自殺を売り物にした』なんて、とんでもないよ!」。

とのこと。


などなど、他にもファンなら必読!の証言は山ほどあるんだけど、
とてもスペースが足りそうにないので、この辺で打ち止め。

「もっと知りたい!」と思う方は、今号の英Uncutを熟読してください。
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