清志郎とヒロト&マーシー

清志郎とヒロト&マーシー

ある意味前回の続き。

というわけで、私、こないだまでザ・ブルーハーツ
『ALL TIME SINGLES』の全曲解説を日々書いていて、
今は忌野清志郎『Baby#1』の全曲解説を日々書いているわけですが、
書いているうちに、ヒロト&マーシーと清志郎って、
結構共通項があるんだよなあ、ということを思い出した。
清志郎の葬儀式で弔辞を読んだのは、竹中直人とヒロトだったわけで、
交友があったのはよく知られているが、メンバーとかも、かぶっていたりするのです。
って、これもファンはみんな知っていることだけど、
ちょっとまとめてみたくなったので、書き出してみます。

・ヒロトが、ブルーハーツ解散直前にちょっとだけやっていたバンド、
ザ・ヒューストンズのギタリストは、三宅伸治だった。
ソロ清志郎の片腕であり、ザ・タイマーズからNICE MIDDLE with
NEW BLUE DAY HORNSまで、長年にわたり清志郎を支え続けた、
清志郎との共作も多い、あの人です。

・2・3'sを解散しソロに戻った清志郎のバック・バンド、
Screaming Revueのピアニストは、当時ブルーハーツのサポート・メンバーで、
のちにザ・ハイロウズに加入する白井幹夫だった。

・忌野清志郎&2・3'sのギタリスト、山川のりをは、メジャーデビューしたのは
ディープ&バイツだが、それ以前は、ヒロトがブルーハーツの前にやっていた
コーツでギターを弾いていた。元々、ヒロトの中学だか高校だかの後輩。

・同じく忌野清志郎&2・3'sのドラマー、大島賢治は、それ以前は、
ブルーハーツが所属していた音楽事務所、ジャグラーで、
セッション・ドラマー兼ディレクターとして働いていた。
で、ブルーハーツのディレクターをやっていた時期もあった。
そして、2・3's解散後に、マーシーに誘われて、ザ・ハイロウズに参加した。

・マーシーはブルーハーツの前に、ブレイカーズというバンドで
ボーカルとギターをやっていた。
で、そのブレイカーズがちょっと所属していたか世話になっていたかしたのが、
RCの所属していた事務所、りぼんだった。
たぶん、その頃にはもうRCはいなくなっていたんじゃないかと思うが。

・そのりぼんをやめてRCが立ち上げた事務所、うむ(という名前だったのです)は、
RCの活動休止と共に休眠したが、そのうむの社長の坂田さんが、
次に手がけたのが、山川のりをのディープ&バイツだった。
ってこれ、ヒロト&マーシーは関係ないですね。書いてから気づきました。

以上、後半、メンバー云々というよりただのロック業界昔話になっている気が
しないでもないですが、とにかく、今ぱっと思い出せるだけでも、これくらいあるのでした。
ちゃんと調べたら、もっとあるかも。

あと、ブルーハーツと並行してソロをやっていた頃の
マーシーのツアー・バンドに、三宅伸治が参加していた時期が
あったような気もするんだけど、調べ切れませんでした。
私の記憶違いかもしれません。


なお、坂田さん、現在は銀杏BOYZの所属する事務所の社長です。
RCのマネージメントをやっていた人が、今、銀杏BOYZを。
だと「ふーん」って話だけど、
ザ・タイマーズのマネージメントをやっていた人が、今、銀杏BOYZを。
と思うと、「なるほど」という気分になります。
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